真剣に考える時期に来ている
私は、これまで人口のしくみについて漠然としか考えたことがなかった。国が発表する人口統計を報じたマスコミの記事を「ああそうなのか」程度に読み流していたように思う。
昨年、公表された消滅可能性リスト、いわゆる増田リストを見ても、正直に言えば、「最近、どこへ行ってもシャッター街が多いなあ」と感じていたが、それが少子高齢化による人口減少が確実に進んでいることによる現象であることを再認識した程度で深く考えていなかったように思う。だから、その時は、今後、有効な少子化対策を打てば何とかなるのではないかという根拠のない思いを持っていた。
→「世代間格差の解決策は、預金を持って死ぬこと」佐藤俊樹・東大教授に聞く
なぜ、年金改正が繰り返し行われるのか~「年金100年安心プラン」の大ウソ
しかし、松谷明彦氏の「東京劣化」という著書を読んで私の思いが、まったくの幻想だったと今は感じている。そして、そのことは、私が人口問題のことに多少なりとも関心を持っていれば、容易に気づくことができたように思う。それは、これまでの年金の度重なる改正だ。
<年金の主な改正>ウィキペディア「年金~これまでの改正」より抜粋
・1994年 60歳代前半の老齢厚生年金の定額部分の支給開始年齢を2013年までに段階的
に60歳から65歳に引き上げ。
・2000年 老齢厚生年金の報酬比例部分を2025年までに段階的に60歳から65歳に引き
上げ。
・2004年 保険料負担と年金給付のバランスを図るため、保険料負担の上限を固定し、基
礎年金の国庫負担割合を2分の1へ引上げる及びおよそ100年かけて積立金を取り崩して(最終的に年金給付費用1年分程度を残す)年金給付に充当させることにより、保険料の引上げをできるだけ抑制する。社会全体の所得・賃金の変動(経済変動)や平均余命の伸び・合計特殊出生率(人口変動)に応じて、年金額の改定率を自動的に設定し給付水準を調整するマクロ経済スライドの仕組みを導入して、年金給付をゆるやかに削減し、保険料上限による収入の範囲で給付水準50%以上を確保するとした。この改正の背景には、少子高齢化による世代間の問題やグローバル化のなかで労働コストを抑制したいという理由から、保険料の引上げが極めて厳しくなっているという状況があった。
2004年の改正が「年金100年安心プラン」と呼ばれているものだ。しかし、現在、さらに受給年齢の引き上げも検討されており、何が100年安心だろう。20年以上も前(1994年の改正)から少子高齢化問題は、顕在化していたということだ。責任を追及されたくない厚労省と選挙にマイナスの事実を国民に告げたくない自民・公明連立政権の思惑が年金問題の先送りにつながったのだろう。だから、選挙がすべての政府の言うことを私たち国民は真に受ける訳にはいかない。問題が発覚する頃にはその責任が曖昧になり、官僚も政治家もみんな、誰も責任を取らないのが今の日本の現実のように思う。
→夫婦で月額年金支給10.8万!民間老人ホームは一人月25万、公営は50万人待機~こういう現実に、多くの現役政治家は見て見ぬフリをしてきました。近頃、「保育園落ちた日本死!!!」という匿名ブログに慌てふためいて、今夏予定の参院選を前に安倍政権は、場当たり的な弥縫策として保育基準緩和・労働強化と保育士の月額給与6000円増だけ打ち出しましたが、選挙で当選しつづけ自己保身することだけが目的と化しているような国会議員だらけの政治環境では、抜本的な改革は望めません。安倍政権にとっても「憲法9条改正」だけが悲願の主力政策でしょうから、社会保障の問題などは貧乏な国民が喘ぐだけのことなので、適当に先送りしていきたいのが本音でしょう。 歴代政権は、そうやって高度成長期以来、バラマキの借金財政を続け、自分たち一族さえよければよい――という世襲のお坊ちゃま、お嬢ちゃまたちが政権中枢を担ってきたのですから、これも致し方なく、国民はいい面の皮だったというだけなのです。
→「年金100年安心プラン」が“安心”ではないこれだけの理由
→新しい「世代間の助け合い」-年金の「マクロ経済スライド」と「保険料引上げの停止」
→論争続き、改革後手に=放置できない世代間格差【戦後70年】
著者によれば人口統計は「最も確実な予測」と言われているそうだ。そして、少子高齢化は予測通り着実に進んでいるように思う。統計学ではなく、単純に考えても、夫婦二人から二人以上の子どもが生まれなければ、人口は減っていくことになる。
→14年の合計特殊出生率1.42、9年ぶり低下 出生数は100万人
国のタブー
しかし、著者は、国のタブーとして『人口減少高齢化社会にはタブー、つまり「してはならないこと」がある。それは「少子化対策」、「経済成長の追求」そして「増税による財政再建」である。』と警告している。
今後わずか半世紀で、子どもの数が半分以下になる
『なぜ、少子化対策がタブーなのか。第一には、子どもの数の激減という現在の流れを変えることができないからである。われわれ日本人は、今後わずか半世紀で、子どもの数が半分以下になるという未曾有の少子化を経験する。しかしそれは、子どもを産む可能性の高い年代の女性の数が、今後の半世紀で半分以下にまで激減することの必然的な結果であり、かつ、その女性人口の減少速度を変えることは、もはや不可能に近いからである。
まず、25~39歳の女性人口は、当然のことだが、すでに25年も先まで確定しており、わずか四半世紀で37,1%もの減少である。その大幅に少なくなった女性が次の世代を産むのだから、半世紀でその年代の女性人口が55,1%減少するという「社人研」(国立社会保障・人口問題研究所)の推計は当然の帰結と言える。』と著者は書いている。
私たちは、こうした事実を冷静に受け止めるべきだと思う。将来のことを他人(政府)任せにしていたら、行き止まりまで問題を「先送り」されることは、これまでの経験から明らかだと思う。最悪、「預金封鎖」の事態を指摘する声もある。官僚や政府が、「適当」に処理する可能性はあっても「適切」に判断することなど一切ないだろう。
→株価好調の裏で現実味を帯びてきた 「預金封鎖」が起こるシナリオとは?
日本の急激な少子高齢化自体、日本の政府の取った政策の結果だと著者は指摘している。それは、戦後、人工妊娠中絶を主たる手段として行われ、年間出生数を4割(約100万人)も減少させた大規模な産児制限によってもたらされたものであるという。その結果として「いびつな人口構造」が形成され、急激な少子高齢化を招いたと。日本が欧米先進国のようななだらかな人口構造に戻るには、後60年待つ必要があるという。
人口をいじれば、必ず数十年後にツケが来る
著者は少子化対策をしても効果は上がらないと指摘している。その理由の一つとして日本人のこれまでに積み上げられた価値観の変更の困難さを挙げている。また、少子化対策の財政負担の大きさも少子化対策がタブーの理由だという。「もういい加減、人口をいじることをやめてはどうか。人口をいじれば、必ず数十年後にツケが来る。」と警告している。
→初婚・初産年齢、30年で4歳上昇 少子化白書 ~内閣府が14年度に実施した意識調査も紹介した。未婚で恋人がいない20~30歳代の男女に恋人が欲しいか尋ねると「欲しくない」が全体の37.6%を占めた。
→高齢化の正体、少子化はなぜ起こる?子育て支援だけでは少子化が解決しない理由
→中国も日本同様高齢化が進行 ちょうど日本の20年前の状況~人口動態の観点からすると中国と日本には共通点が多いです。唯一の違いは、中国は日本より20年遅れで高齢化が進行しているということです。
→中国「1人っ子政策」廃止!労働人口減少で経済減速・・・国民「2人も育てられない」
→一人っ子廃止ふざけるな!今の中国人の本音 "大本営発表"に従わない世代がやってきた
急激な生産年齢人口の減少
二つ目のタブー「経済成長の追求」がなぜ駄目なのか。それは、今後の日本経済が、労働生産性を上げても追いつけない程の急激な生産年齢人口の減少に見舞われるからだという。経済成長率を目指すには、労働力の大幅な拡大しかなく、「すなわち既存労働者に一層の長時間労働を強いるか、女性、高齢者等の国内余剰労働力や外国人労働力を活用するといったことだが、それは国民を不幸にし、あるいはかえって成長率を低下させることになる。」と著者は予想している。
そして『さらに指摘すべきは、「労働力の不足が問題の根源なのだから、労働力を補填すれば解決する」という現状認識の誤りである。そこでは、日本経済の国際競争力が急速に低下しているという事態が見えていない。まるで太平洋戦争の時代を彷彿させるが如きである。…」と著者は止めを刺す。
労働生産性は、労働一時間当たりの収入で考える
著者は、労働生産性は、労働一時間当たりの生産数量ではなく、労働一時間当たりの収入で捉えるべきだと主張している。この考えに立てば、少ない労働者で高い収入を稼いでも、それが長時間労働で収入が増えただけにすぎず、一時間当たりの収入が増えていないのなら生産性は上がっていないことになる。
逆に、ワークシェアリングにより労働者が増えても、一時間当たりの収入が増えれば労働生産性は上がり、短時間労働で労働生産性を上げる方が国民の幸福につながるだろう。時間当たりの収入をいかに増やすかに経営者と労働者が腐心するようになれば、お互いの幸福度が高まるのではないだろうか。この間、テレビでデンマーク人の労働時間が、1日7時間で生産性も高く、国民の幸福度も極めて高いことが紹介されていた。
日本経済は、後進国型の経済
さらに「欧米先進国に比べ、これ程までに生産性が低いのは、実は、日本経済は、欧米先進国が開発した製品を上手に模倣して、大量の機械・ロボットと安い労働力で大量に生産し、低価格で販売するという後進国型の経済だからである。先進国型の経済であれば、自分で開発した製品を適量生産し、高価格で販売する。」と著者は言う。
移民政策でいびつな人口構造を招いたドイツ
移民を受け入れて労働力を増やすことは、結局、後進国型の経済の継続を意味する。しかし、移民の労働コストは、アジア諸国の労働者より常に高いだろうから、アジアの後進国との価格競争には勝てないだろう。移民は労働生産性を上げないだろうから一人当たり労働コストは下がっても売上高人件費率は下がらないと考えるべきだろう。そして、移民により人口をいじれば、また、人口構造がいびつになり、彼らの高齢化による社会負担増は避けられないだろう。
著者によれば、日本と同じようないびつな人口構造が見られるのはドイツだそうだ。日本とドイツだけがいびつな人口構造なのは「この二国だけが人口をいじった」からだという。戦後のドイツは労働不足で近隣諸国から大量の移民を受け入れたが、仕事を奪われたドイツ人の反発や治安の悪化で深刻な社会問題を生み、低賃金の移民や外国人労働者は「税金を負担しないで、福祉を受け取る人々」を大量に作り出し、財政が破綻する自治体が相次いだという。その後、移民や外国人労働者の流入を急激に抑制したことが現在のドイツのいびつな人口構造を生む結果になったと著者は指摘している。
→高齢化が進むドイツの人口構造。世界的に低い出生率の解決策は?【ざっくり分かるドイツの人口・労働環境①】
→外国人労働者受け入れ問題を考えるなら日系一世の苦労を忘れるな!
日本のベビーブームは、実は3度あった
ちなみに、ドイツのいびつな人口構造の山は、この移民政策によるものだけだが、日本には、2つの山があり、ベビーブームは、実は2度ではなく、3度あったという。前半の第1次ベビーブームは、戦前の大正から昭和にかけて当時の軍事政府が、兵力増強のために行った「産めよ殖やせよ」という大規模な出産奨励策によるもの。だから、2010年までの人口減少の主因は、この前半の第1次ベビーブーマーの人たちの死亡者の急増だという。しかし、これからの人口減少の主因は、少子化だそうだ。
財政再建は財政支出の縮小で
「増税による財政再建」はなぜ、駄目なのか。「その理由は、際限なく増税を繰り返さなければならないからである。それは確実に国民を離反させ、社会を崩壊させる。そして同時に財政も崩壊する。財政再建の手段は、あくまで財政支出の縮小でなければならない。」からだそうだ。
2005年までの50年間は、一人当たり税収も一人当たり財政支出もそれぞれ10倍に拡大し、そうした状況での財政赤字を増税で賄う財政再建は、妥当性があると著者は言う。しかし、「今後の人口減少高齢化社会では、一人当たり国民所得がおおむね横ばいとなる。働く人の所得は、生産性の向上によって増加するが、国民の中で働く人の比率が低下するから、高齢者や子ども等の働かない人を含めた国民一人当たりの収入は横ばいになるのである。ということは、国民一人当たりの税収も、増税しなければ横ばい」となる。
しかし、これからは、「一人当たり財政支出は過去に例をみないスピードで拡大」を続けていくから「いつまで経っても、赤字はなくならず、増税を際限なく続けなければならないことになる。」から「増税による財政再建」はやってはならないと著者は、説明している。
2007年度の財政構造への復帰
正しい財政改革のひとつは、単年度財政赤字解消のために支出規模を縮小することだという。その目安は、2007年度予算だそうだ。ちょうど第1次安倍政権が始まった頃だ。2007年度の財政構造への復帰を目標にすることを著者は提案している。「その後の財政支出の拡大はバラマキ福祉との批判が強いものばかりだから、社会政策的にも妥当性を持つ。」というのが著者の考えだ。
地方のタブー
著者は、人口減少高齢化社会における地方のタブーとして「若者の流出抑制」、「大都市経済への接近」、「市町村合併」の3つを挙げている。
地方の消滅は杞憂
ここで取り上げている「地方」とは大都市地域の自治体ではなく、地方の自治体のこと。『例外なく全ての地方で人口の激減が予測されている。それを見て、「地方の消滅」を懸念する向きがあるが、杞憂である。』と著者は言っている。この先数十年間の人口指標は、戦前戦後の大規模な人口政策の影響で異常な動きをするが、「2060年過ぎには、その影響もなくなり、人口の変化は緩やかなものに変わる。異常な時期の人口変化だけを見てものを考えては、将来を見誤ることになる。…その間に致命的な事態も起きそうもない。」
2040年を過ぎれば、少子化のみを要因とする緩やかな人口減少に変わる
地方の人口減少は、「実は、それほど悲観すべきものではない。」という。「なぜなら、人口減少の主たる要因が、死亡者数が急激に増加したことによるものだからである。」しかし、地方の急激な人口減少は、「2040年を過ぎれば、少子化のみを要因とする緩やかな人口減少に変わる。」
東京の三重苦
一方、『東京を始めとする大都市で、「人口はたいして減らない」、「これまで大量に流入した若者が歳を取り、高齢者が急増する」、「全国的な少子化で流入する若者が激減する」という三重苦が始まる。人口が減らないということは、財政サービスや公共インフラに対する基本的な需要量が縮小しないということである。そのなかで高齢者が急増するわけだから、財政支出は急激に膨張する。一方、流入する若者の激減で労働者数すなわち納税者数が激減して租税収入は低迷する。大都市は未曾有の財政難に陥らざるを得ない。』と著者は指摘している。著者の目には、その姿が1970年代のニューヨークのスラム化とダブって見えているようだ。
→<社説>高齢者移住 抜本的対策こそ必要だ~政策研究大学院大名誉教授の松谷明彦氏(マクロ経済学)は、今回の提言を「数合わせで解消できる状況ではなく、現実を見据えた対策とは言えない」と批判している。
→「東京住みたい?」「いや、全然!」地方在住者45.4%が東京に無関心なワケ
→首都圏人口、15年がピーク 65歳以上は今後急増 政府が推計
→人口流出が止まらない!! 韓国人が“脱ソウル”して地方を目指すワケ
地方の人口減少は、それほど悲観的な事態ではない
「だから、死亡者の急増を主因とする地方の人口減少は、それほど悲観的な事態ではない。人口の大幅な減少で財政需要も大きく縮小する。…大都市のような社会の存立に関わるような財政難に陥る可能性は少ない」そうである。仮に人口減により危機に陥っても「さほどの財政支出なくして、ほとんどの農村と小都市はこの先も存続させることは十分可能である」と著者は考えている。
欧米先進国型の人口循環がひとつのモデル
欧米先進国の農村や小都市でも若者の大量流出があるが、その若者の多くが、十数年後に故郷に戻ってくるそうだ。そのため、欧米先進国の地方は、「日本ほど高齢化せず、過疎等の問題もほとんど聞かれない。」という。「日本でも、そうした人口循環を考えるべきだろう。流出を抑えるのではなく、都会で力をつけた若者が戻ってくるような地方経済、地方社会をつくることに方向転換する」べきだというのが著者の主張だ。
欧米諸国では、なぜ若者が地方に戻ってくるのか
「ではなぜ、欧米先進国では(若者が)戻ってくるのか。最大の理由は、故郷に、自分が大都会で得た能力を活かせる働き場所があるからである。…日本の地方には、そうした職場がまずない…ほとんど全ての自治体が、大都市経済への依存を強めることで地方の活性化を図ろうとしたからである。大都市の工場やその下請けの地場産業が主要な職場となったが、そこで多く必要とされるのは低賃金単純労働者である。都会に出た若者が戻ってくることを期待できるような職場はない。…人口循環を実現したいのなら、地方に自らの産業を興すしかない。」と著者は提案している。
古色蒼然たる見解
地方の二つ目のタブー「大都市経済への接近」がなぜ駄目なのか。「大都市への産業の過度の集中が地方経済衰退の原因なのだから、大都市産業の地方への分散を図るべきだ」という意見を著者は、『それは半世紀も前の…古色蒼然たる見解であり、その後何度も繰り返し政策として実施されたが、結果は、逆に大都市と地方の格差をさらに拡大させただけに終わったという「札付き」の見解』と筆者は切り捨てている。
日本経済の本質を変えるべき
さらに『大都市に(産業が)「過度に」集中しているのだとすれば、それが日本経済における最適な産業立地なのであり、それは、誰かが悪いのではなく、現在の日本経済が地方という地域をそれほど必要としていないのだ、という認識が必要だろう。』とまで言っている。
しかし、それは裏を返せば『後進国型大量生産体制の日本経済では、産業が大都市に「過度」に集中して立地することが最適な産業配置なのだ』として「日本経済の本質を変えないまま、産業再配置を試みても…財政を悪化させるだけに終わる。産業再配置をしたいのであれば、そうなるように経済構造や企業経営のあり方を変えるべきなのである。」というのが著者の本当に言いたいことだ。
産業再配置によって大都市と地方の格差は縮小せず、格差は拡大する
「また、産業再配置によって、大都市と地方の経済格差、所得格差が縮小するということにも根拠は全くない。…地方に配置される企業や生産工程は、生産性が低く、したがって賃金水準も低いものに限られる。加えて、大都市の企業や工場の進出は地場産業を確実に衰退させる。…産業再配置の結果、かえって格差が拡大したのは、そのためである。」と著者は、分析している。
●「地方創生関連2法が成立…地方への企業移転促す(2015年06月19日 読売新聞)」~税制優遇などで企業の地方移転を促す改正地域再生法など地方創生関連2法が19日午前の参院本会議で自民、公明、民主各党などの賛成多数で可決、成立した。
大都市には存在しない、地方に置くことが経済原理に敵っている産業・企業の育成
著者は「現在の大都市には存在しない、そして地方に置くことが経済原理に敵っている産業・企業を、新たに創り育てることを考えるべきだろう。もちろん、製品開発や最終組立もその地方で行うような完結した地場産業でなければならない。そうでなければ、その地方の平均生産性を押し上げ、所得水準を向上させることにならない。豊かな地方経済のために、忘れてはならない条件である。」という考えのもとに具体的なイメージ(内容は本を読んでみて欲しい。)を提示している。
→中小企業が技を持つ日本、企業格差が止まらない韓国 基盤産業が支える富士山型日本産業、セット事業リードの逆ピラミッド型韓国産業
アメリカは住民の意向で自治体を分割し、日本は、国が自治体の合併を推進
地方の三つ目のタブー「市町村合併」はなぜしてはいけないのだろうか。『アメリカでは、ある地方自治体の人口が大幅に増加した場合には、「住民が」主導する形で、複数の自治体に分割されるのが一般的である。人口が増えると、行政に自分たちの意向が届きにくくなり、あるいは価値観が多様化して自分たちの望む行政サービスが得られなくなる、というのがその理由である。それに対し日本では、明治以来、「国が」地方自治体を合併させることに血道を上げている。分割・合併、ボトムアップ・トップダウンと、方向が全く逆である。』
国による自治体合併の究極が道州制
「なぜ合併させるのか。…要は数を減らしたいのである。…国の号令も届きやすくなる。自治体の側も、人口が多い方が、そして村より町、町より市の方が聞こえがよく、企業や大都市の人々が来てくれるからと歓迎する向きが多い。欧米先進諸国の地方自治の精神とはまるで逆だが、それが日本の地方自治の実態である。その究極が道州制である。」
国による自治体合併が地方を衰退させた
『この「国よる自治体合併」が多くの限界集落をつくり、農村を衰退させた。合併すると、市役所、町村役場の一つが新しい市役所となり、他の町村役場は支所となって職員数は十分の一程度になる。…しかし、支所になると、その周辺の昼間人口は激減する。…当然、流通業やサービス業は撤退、閉店を余儀なくされ、そのために居住条件の悪化した集落では、転出者が増加することになる。』
→地方創生のウソ~地方自治体は、少子高齢化でなく、道州制で消滅する?
→忍び寄る〝自治体消滅〟 おしゃれな港町・神戸でも…「2025年問題」先送り~宍粟市は17年に宍粟郡の山崎▽一宮▽波賀▽千種-の4町が合併して誕生。直後の同4月の人口は4万5724人だったが、年々減少の一途をたどり、27年国勢調査の集計結果(速報値)では3万7792人。この10年間で約8千人減少し、市発足以来初めて4万人を割ったことを受けての非常事態宣言だった。
「合併によって予算は一つになる。…相対的に利益率の低い農業は産業として見劣りし、費用対効果の観点から予算配分が後回しになることが多い。農業は、西欧諸国においてすら公的補助を必要とする産業だから、合併によって予算が大幅に削減されれば、農業の持続可能性は低下せざるを得ない。」
なぜ、日本では農業が地方経済の一翼を担えないのか
『欧米先進国の地方経済は、かなりの程度、農業生産に負っている。当然であろう。農業は、地方が優位性を持ち得る数少ない産業の一つなのだから。ではなぜ、日本では農業が地方経済の一翼を担えないのか。農業から産み出される付加価値が小さすぎる、つまりさほど儲からないばかりか、赤字の農業も多いからである。その原因として…農作物の構成にも問題があると考えている。…多量少品種である小麦や大豆の生産を拡大するべきなのである。…つまり、農作物から生じる付加価値のより多くの割合を、農村を含む地方経済の側に「落とす」ことで、地方経済の維持拡大を図るのである。併せて流通マージンの取り込みも考えるべきだろう。…集落の持続可能性の向上であるが…手段は、大農化、施設農業の高度化である。』著者の提案する施設農業の高度化については、割愛するが、興味がある方は本を読んで欲しい。
日本の文化が厚みを失い、薄っぺらなものになっていく
オランダ人は「世界は神がつくったが、オランダはオランダ人がつくった」というそうだ。『日本も日本人がつくった。各地の農村を訪れるたびに、つくづくそう思う。…さまざまに独自の農業と農村の「かたち」が生まれ…日本の国土は、まさに日本人の努力の結晶なのである。その人々の営みが日本文化を生んだ。…同時に、人々の営みに根ざしたものであったが故に、その文化は強靱さと持続力を併せ持った。…急速に進む農村集落の消滅を、食糧自給率の低下や国土の荒廃といった問題意識でのみ捉えるべきではないだろう。日本の文化が、いわばその厚みを失い、薄っぺらなものになっていく。そこにこそ思いを致すべきではないだろうか。明治には三十万もあった農業集落が。人口が四倍以上に増加するなかで、十三万九千集落まで縮小した(2010年農業センサス)。これ以上減るべきではない。そう思う。』と著者は結んでいる。 おしまい
〇東京を捨てて高知に移住して、丸一年。今感じていることをまとめてみた
*沼津市は(沼津市に限らないが)、問題の本質を理解しないまま、中心市街地活性化事業を行ないます。つまり、ここで何度も取り上げている事業、区画整理事業、道路拡張、大規模公共施設建設、の三つです。道路に関しては示した通り、駅前から延びる道を「拡幅」した結果、郊外の商業施設へ人が見事に吸い出されました。区画整理事業は、のっぺりとした地域性の欠片もない区画を生み出し、地域店舗は衰退しました。そして、お約束の大規模公共施設、「BIVI」「プラサヴェルデ」は慢性的に支援が必要な施設、つまり、お荷物になりつつあります。…沼津駅周辺は歓楽街として知られていたそうですね。“そうですね”というのは、区画整理事業によって猥雑な街は姿を消し、がらんどうになっているからです。また、素晴らしいカクテルを出すお店も多数あったそうですが、現在、どの程度残っているのか判りません。街の特徴でもあるバー文化も消されようとしている、ということでしょう。…私としては、沼津駅周辺高架事業に賛成する気にはなれません。これは、全国の鉄道高架事業全てに言える事です。
○経済成長率だけでなく出生率も、ドイツ>日本 日本は歴史的な分岐点に直面している
*75歳以上の人口は1985年時点では471万人だったが、30年間で3.4倍に増加した。同じ期間に14歳以下は4割減っており、少子高齢化に歯止めがかからない。14歳以下の人口割合は12.6%になった。日本と同様に少子高齢化が問題化しているイタリア(13.7%)やドイツ(12.9%)を下回って、世界最低水準まで低下している。
○この国の年金制度はもう限界? 与野党はいつまで茶番劇を続けるのか いったい誰のための政治なのか
*むしろ、歴代政権がこれまで約束してきた「十分な額」の年金を放棄する以外に、「年金」制度を維持する方策がないことを率直に情報開示すべきである。そして、老後の暮らしを守るために自助努力する必要性が増している事実を明らかにすることこそ、国政を担う政治家に期待される役割ではないだろうか。
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