印象操作機?
私は、8月14日の安倍首相の戦後70年談話をNHKの中継で見ていたが、正直、談話の内容が全く頭に入ってこなかった。翌日の新聞を見て、民主党の岡田代表やマスコミの批判でそう言えば、確かに談話の中に主語がないなと気がついた。
しかし、問題はそれ以前のことのように思う。それは、スピーチから全く感情が伝わってこなかったことだ。何回も練習したのだろう。よどみなくしゃべる姿に感心してしまった。しかし、それは間違いだったようだ。何回も練習しただろうが、よどみなくしゃべれたのは、最近の文明の利器のお陰のようだ。最近は、大統領や首相の演説でプロンプター(原稿映写機)という道具が使われていることを私は勉強不足で知らなかった。
なんだーという感じだろうか。昨年7月1日の「集団的自衛権」の行使容認の閣議決定のスピーチでも使われていたそうだ。原稿を読んでいただけだからよどみなくスピーチしているように見えたのだ。しかも原稿が左右のプロンプターに交互に表示されるので顔を左右に動かす動作が周囲を見回しながら自然に語りかけているようにテレビの視聴者には見えるのだという。プロンプターは原稿映写機というよりは、印象操作機とでも呼ぶべき装置だ。
感情もこもっていなければ、考えながらスピーチしているわけでもなく、談話の内容も中身のないものなのだからお粗末の一言に尽きる。いい談話だったと評価する人の気が知れない。日本語のニュアンスが分からない外国の人は、翻訳された原稿と映像を見て評価しているのだろう。
翌日、ホームページに公開された談話を読み直してみたが、やはり何も伝わってこない。それで10年前の小泉前首相の談話を読んでみた。こちらは、内容がストレートに伝わってくる。私は、小泉前首相の言動一致の政策について疑問を感じたことがなかったが、安倍首相は、やはり信用できない。
為政者の義務を国民の謝罪責任に転嫁
談話の中の将来の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないという表現を評価する声があるが、本当にそうだろうか。現在、80歳の人たちも終戦の時に10歳だから戦争についての責任があるはずがない。だから、現在でもほとんどの日本国民に戦争責任があるわけでもなく、そもそも将来の世代の人々が謝罪を続ける宿命を追わねばならないなどという事実は存在しない。
戦争責任を負い続けるのは、国であり、為政者だ。だから、日本の為政者は、今後とも真摯に戦争で犯した過ちを忘れず、反省の意思を示し続けるべきだ。それが跳ね返って日本人に対する信頼となるように思う。為政者の義務を国民の謝罪責任に転嫁するような発言に賛同する浅慮こそ私たち国民が慎むべきことだと思う。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」(70年談話抜粋)
安倍首相本人も個人としては、戦争責任はない。だから謝りたくないのかもしれないが、レトリックで聴衆を騙すのは詐欺行為だ。「嘘も百回言えば真実となる」と誰かが言ったそうだが、その確信犯振りには驚かされる。
安倍首相は、何も変わっていない
談話の最後を「積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」と結んでいる。70年談話を世論に配慮したかのように分析する論調もあるが、安倍首相は、何も変わっていない。「積極的平和主義」の旗のために強行採決したのが安保法案だろう。「積極的平和主義」の中身は武力を使って「平和」ではなく、「国益」を守るということだと思う。
米国の起こしたベトナム戦争やイラク戦争も結局、自国の国益を守るための行為に過ぎないものであり、その結果が、イスラム国と多大の難民を生み、テロの連鎖をもたらしたのではないだろうか。国益とは結局、ナショナリズムが生み出すエゴに過ぎないように思う。一般に「挑戦者」という言葉も障害を乗り越えようとして努力する人々を指し、肯定的なニュアンスが強い。とても反省しているようには感じられない。そこに書かれた国際秩序とは何を指しているのだろうか。欧米列強の植民地政策のことを指しているのなら日本は、アジアの自由と平和のために戦ったようにも読み取れる。
「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」(70年談話抜粋)
集団的自衛権の行使は日本の自衛のためには何の役にも立たない
武力で平和を守ることも実現することもできないことは米国自身が証明済みだ。米国が犯した過ちの代償を何故、日本が肩代わりしなければならないのだろうか。日米同盟は、中国や北朝鮮に対する心理的抑止力にはなっても、実際に有事が発生したときに米国が日本といっしょになって行動するとはとても思えない。中国が尖閣諸島周辺で領海侵犯を繰り返したときに米国がどういう対応をしたか思い出すべきだ。北朝鮮や中国が米国の艦船に攻撃を加えるような事態もあり得ないように思う。中国や北朝鮮はそれ程馬鹿ではないだろう。
そもそも心理的な抑止力以外で米国が一方的に日本のために防衛活動をしているという事実があるのだろうか。日本の米軍基地の存在も米国の国益に合致するからだろう。単に米軍基地に対する思いやり支援という金銭的メリットだけでなく、日本自体が米国に対するアジアの脅威を遮断する防護壁として、そしてアジアからの出撃という地理的メリットが米国の国益に合致しているからではないだろうか。日本は、中国が南沙諸島に建設している滑走路と同じ役割を担っているように思う。日本を守るために米軍基地を置く程、米国は甘くない。
→「積極的平和主義」で戦死者を出し、安倍首相が窮地に立たされる日
結局、集団的自衛権の行使は日本の自衛のためには何の役にも立たないだろう。海外での米国の軍事行動に協力しても、仮に尖閣諸島をめぐり中国と衝突するようなことがあれば、米国との共同軍事訓練で習得した殺戮手法で日本自ら自衛してくださいということになるだけだろう。米国が中国と衝突する経済的デメリットの方が日本の防衛に協力するメリットよりはるかに大きいのは自明だと思う。米国は、国益、とりわけグローバル企業の利益を優先して動くことは目に見えている。
◇特集ワイド:続報真相 本土「常識」の誤解 辺野古移設は仕方ない? (毎日新聞 2015年10月09日 東京夕刊)~「辺野古移設が頓挫しても海兵隊は困らない。横須賀、佐世保両港は米国の制海権を保つのに欠かせず、基地の維持費を出してくれる日本との同盟を米国は手放さない。辺野古移設にこだわる必要は日米ともにないんです」
「積極的平和主義の旗」=「ショー・ザ・フラッグ」?
談話の中の「積極的平和主義の旗」という表現は、アーミテージ米国務副長官が発言したとされる「ショー・ザ・フラッグ」という言葉を想起させる。この発言は、当時の官房長官だった安倍首相がマスコミにリークしたウソだったとされている。マスコミへのウソのリークは、昔から安倍首相の常套手段だったようだ。
官邸のメディアコントロールは続いている
今回の参院での強行採決も拡大するデモと世論を抑えるための行動にすぎないように思う。最近やっと、安保法案やデモをきちんと報道する放送局が出てきた。TBSとテレビ朝日は、頑張っているように思う。とりわけTBSの報道姿勢は、高く評価できる。
しかし、一方で、官邸が仕掛けたと思われる報道を自粛させようとするための攻撃があった。それは、TBSのドラマについての言いがかりのような一部マスコミとジャーナリストの報道記事だ。菅官房長官が「TBSドラマで北朝鮮による拉致被害者救出を祈るシンボルのブルーリボンバッジを贈収賄事件で逮捕される政治家役につける演出をした問題」について、「コメントは控えたいとした上で、現に今、私も着用しているが、ブルーリボンは拉致被害者の救出を求める国民運動のシンボルだと述べ、不快感を示した。」と産経新聞は報じている。TBSが偏向報道しているという印象を世間に与えたかったのだろう。しかし、報道に対する世間の関心は薄く空振りに終わったようだ。
→菅官房長官も不快感 「拉致被害者救出祈る意味を理解してほしい」
→TBSドラマの「問題演出」は、なぜ起きたのか 裏には「下請構造」と「甘いチェック機能」
→報ステの安保報道受け「スポンサーやめます」 高須クリニック、9月末でCM終了へ
→石田純一氏、安保法制反対でTV出演キャンセルされていた 高須クリニック院長がエール「頑張って
→石田純一が安保法制反対で「圧力」を受けていた…テレビ番組、CMの出演キャンセル、厳重注意も」
→スクープ! 安倍首相が『報道ステーション』生出演をドタキャンしていた! 木村草太との対決を怖がって逃亡
→産経とフジが「デモ参加者は一般市民でない」「特定政党支持者」との世論調査発表…そのデタラメと歪曲の手口を暴く
→産経新聞が「安保反対デモはヘイトスピーチ」との記事を掲載! 新聞記者なのにヘイトスピーチの意味も知らないのか?
→読売、産経の安保法制報道に「異常すぎる」の声! 池上彰は「朝日より問題」、斎藤美奈子は「特高警察風」と
NHKは、17日の安全保障関連法案に反対する野党が提出した鴻池委員長の不信任動議を巡る討論の様子を珍しく終日伝えていたが、翌18日の参院での審議の様子はほとんど伝えなかった。TBSとテレビ朝日以外のほとんどのテレビ局は黙りを決め込み、申し訳程度の報道をしただけだ。国会前のデモの様子を丁寧に伝えていたのはTBSだけだった。
一番ひどかったのが、なんと日経新聞と提携しているテレビ東京の報道番組「ワールドビジネスサテライト」だ。安保法案やデモなど全く関係ないといった感じだ。どうでもいいようなビジネスニュースを流し、安保法制の強行採決や国会前のデモなどどこの国のことだろうかという番組作りだった。テレビ東京の自粛ぶりは日本テレビやフジテレビを上回っている。情けないメディアの代表ではないだろうか。「ワールドビジネスサテライト」は米国のグローバリズム経済に偏向した報道が多いように思う。それとも経済報道番組だから防衛問題は報道対象外とでも言うのだろうか。かつてメインキャスターの大江麻理子のファンだったからがっかりだ。
私は、最近、意識して4の倍数チャンネルを見るのを”自粛”している。報道の自由や国民の知る権利に熱心でないメディアは応援できない。最近、安保法案に賛成した議員を落選させる運動があることをネットで報じていた。そうした運動と併せて報道の自由や国民の知る権利に熱心な番組を多くの人が見ることが結局、日本の民主主義を守ることにつながると思う。
新聞は購読料が高いので報道姿勢を評価してもすぐに購読につなげるのは難しいが、テレビは無料なので見ることで応援することは可能だ。別にニュース番組だけを見る必要はなく、真摯な報道姿勢を守ろうと努力しているテレビ局の番組を見るだけでもいい。
NHKも最近は、現場が報道の自由を守ろうと努力している姿勢が感じられる。NHKがこうした姿勢を続けるためには世論の力が大きな支援となる。せっかく高い受信料を我々国民は負担しているのだから自分たちの「知る権利」を守るためにNHKの現場を応援しよう。そして政権の意向を忖度するような情けない報道姿勢が見られたら情け容赦なく、クレームを入れよう。
政権に対して中立公正な報道をする義務は、メディアにはない。それが憲法の保障する本来の表現の自由だ。政権に対して批判的な報道こそ求められる。国益でなく、国民の利益を守るための報道こそメディア本来の仕事だ。国益という言葉を使う人に限ってそれが自分たちの保身からでている場合がほとんどのように思う。もし、間違った報道があればすぐに訂正すればいい。一方で、個人の基本的な人権を軽視したような報道は、表現の自由の乱用だろう。例えば、STAP論文についての小保方氏に対するNHKの報道姿勢は、個人攻撃のように私は感じた。弱い者に対する報道は抑制的であるべきだと思う。一方、権力者に対する報道は厳しくなければならないと思う。安倍首相に表現の自由などあるはずがない。
今のメディアのガンは政治部記者のようだ。どこのメディアも政治部が大きな権力を握っているのが現実のようだ。自分たちの取材源を守るために報道の有無や報道内容をゆがめる行為が横行しているように思う。そして政治部出身のジャーナリストは往々にして尊大な人たちが多い。過去の人脈がらみで政権の代弁者のようなコメントをする人物もいる。そういう人をコメンテーターとして使うメディアもメディアだ。読売新聞を牛耳る渡邉会長も政治部記者出身だ。まるで自分たちが政治を動かしているような振る舞いに苦々しく思っている人は多いと思う。
→調査報道に挑み続ける名物記者が安保法制に沈黙するマスコミ人を叱咤!「所属なんて関係ない、自分の考えを語れ」
→安倍の寿司トモダチ・田崎史郎の政権スポークスマンぶりがヒドい! 室井佑月に突っ込まれて逆ギレも
私は、彼らの自分たちが一番分かっているような言動に反感を覚えることが多い。謙虚さを忘れたら、それは人でなし以外の何物でもないだろう。しかし、謙虚でない人が最近は多いと思う。米国の大統領選の共和党候補者指名争いに名乗りをあげている不動産王のドナルド・トランプ氏が、暴言で物議を醸しながらも根強い人気を維持しているという。ドナルド・トランプ氏は、ジョーカーのような顔をして悪態の限りを尽くしている。日本にも関西の方で同じような言動を繰り返して一定数の支持を得ている方がいるが、私には理解できない。
安倍政権、あれは何だったのだろうかという日まで私たちは、日本の民主主義を取り返す行動を継続しなければならないと思う。熱しやすく冷めやすい国民性を乗り越えて、100万キロ歩いても忘れない執念深さを身につけよう。ターミネーターとなり、安保法案の強行採決に手を貸した議員は、最後まで追い詰めて、二度と選挙で復活できないという恐怖を味わせてあげたい。今日のNHKの「安保法制と日本の針路」というNHK解説員による討論番組でNHKの取材に応じた自民党幹部が国民はすぐ忘れると発言したことを伝えていた。私たち国民は、自民党に舐められているようだ。
私は、かつて民主党政権に失望と怒りを覚えたが、今、自民党に対して不信感と憎悪を覚えている。米国に対しては反米感情が芽生えている。武力で報復する代わりに選挙がすべての政治家に選挙で報復してやりたいという思いを抱いている。そして私たちの知る権利を脅かすようなメディアを徹底的に糾弾するべきだと思う。 おしまい
(追記)産経新聞はメディアと呼べるのだろうか?
10月3日付けで産経新聞は「安保審議、テレビはどう報じたか 「バランスに配慮」強調も一部、批判に終始 アンカーが廃案呼びかけ」と題する記事を掲載。まだ、自民党がメディアに要請した「中立公正」を根拠にテレビの報道姿勢に政権に代わって圧力をかけようとしている。メディアが政権に対して批判的な視点から政権の行動を分析して報道するのが知る権利を守るメディア本来の仕事のはず。メディアは知る権利を守るために必要だと考える情報を自由に報道すればいい。偏向しているかどうかは視聴者の判断に委ねれている。
一方、政権は、批判に対して真摯に説明する義務がある。それが現在の憲法が為政者に課している義務だ。賛成と反対の意見を按分して放送するだけなら、ニュース解説などいらない。もし、安保法案への国民の賛成が多数のときに反対と賛成の意見を均等に流したら、きっと今度は、産経新聞は、真実を報道していない偏向報道だと非難することだろう。また、均等に情報を流した後で、最後にキャスターが反対のコメントで締めくくったらそれも中立公正でないと主張するのだろうか。
また、賛成に偏った報道をするメディアがあるが、そうしたメディアを何故、牽制しないのだろうか。産経新聞自体、賛成に偏った報道をしている。要は、政権に反対するメディアをバッシングするのが目的としか思えない報道姿勢が産経新聞にはある。中立公平というのが、無色透明の報道をしろというなら、産経新聞こそ偏向メディアの代表ではないだろか。行き過ぎた嫌韓報道をしても放任されているのは、自ら作成した「国民の憲法」要綱で制限することを規定している「表現の自由」のお陰ではないのか。それとも政権追随のご用新聞だから、自分たちの報道が規制されることはないと考えているのだろうか。ちなみに放送法より憲法が保障する表現の自由が優先されることは、「国民の憲法」要綱を作るくらいだから弁えていると思うのだが。
奇しくも日経新聞が「自民党は2日、報道規制ととれる発言が相次いだ会合を主催したとして6月に「1年間」の役職停止としていた木原稔前青年局長の処分を、同日付で「3カ月」に軽減したと発表した。内閣改造・党役員人事を前に役職停止を打ち切った形だ。」と報じている。安保法案が通ったら、安倍首相のお友達を復帰させたのは、おそらく安倍首相自身の判断、というより指示だろう。自分に従う人間はどこまでも守る「立派な上司」というのが安倍首相の求心力のように思う。
安倍首相の取り巻きも安倍首相が失墜すれば、自分たちの地位がないことを認識しているから無批判に追随しているのだろう。自民党は、経営危機にある東芝を彷彿とさせる。保身のサラリーマン集団。自分たちが生き残るためならモラルなど関係ねぇ、関係ねぇ。法律なんか自分たちの都合のいいように変えれば問題ない、問題ない。我々を政権に選んだ国民の方に責任がある。嫌だったら、選挙で意思表示すればいいーじゃん!という声が空耳か聞こえてきた。
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