東京駅の近くに所用で出かけた折に立ち寄った喫茶店で妻が鞄のファスナーをちゃんと閉めていなかったので、私が老婆心でスライダーを引っ張ったら、スライダーが外れてしまった。この鞄は左右にスライダーが一個づつ付いており、真ん中でスライダーがお見合いをして閉める構造になっている。それを私がよく見ずに左側のスライダーを真ん中より右側に引っ張ったから当然、スライダーが外れてしまった。
妻の余計なことをという冷たい視線と「前に真ん中で止めるのよと教えたでしょ!」という非難を浴び、私はおろおろしてしまった。スマホで見つけた八重洲地下街のお店に行き、修理を依頼したが、店員さんは、「これは鞄のファスナーの縫い目を解いて交換しなければならない。」から4,320円かかると開口一番、私に止めを刺してきた。
私は、鞄の構造を説明して、ファスナーもスライダーも壊れていないからなんとかならないかと懇願の目を向けても、交換するしかなく、時間もかかると言う。それを聞いた妻が、それ見たことかと言わんばかりに店員さんから鞄を受け取り、修理を辞退した。
納得のいかない私は、銀座三越のミスターミニットに行こうと否定的な妻を連れ立って修理の旅についた。三越の2階の婦人靴売り場に行くと高級な商品ばかりで、とてもミスターミニットがあるとは思えず、地下の受付まで引き返すと、やはり2階のエスカレーターを降りた左側にミスターミニットのコーナーがあると言う。
気を取り直して言われたとおり、エスカレーターで2階に行き、左奥に歩いて行くと洒落た修理コーナーがあった。受付で事情を話すと受付の女性が裏側にある部屋に渡した鞄を持って入って行き、しばらくして、その部屋から愛想のいい中年の担当者が出てきた。私の説明を聞くと分かりましたやってみましょうと部屋に戻って行った。
10分もしないで、部屋から担当者が出てくると直りましたと笑顔で鞄を渡してくれた。代金を聞くと、外れたものをつけただけなので結構ですとのこと。妻と二人で恐縮してお礼を言ってコーナーを離れた。忙しいのに金にもならない修理を嫌がる様子もなく、修理してくれた担当者に感謝。お金の損得ではなく、久しぶりに得した気分になった。その代わりと言っては何だが、三越でスリッパを買ってきた。
それで、昔は、時計や万年筆が壊れると何回でも修理して使っていたことを思い出した。そして、修理してくれるお店の人に一種の畏敬の念を抱いていたように思う。それが、大量生産、大量消費の時代になり、直すより買い直した方が安いという時代になり、何か変だなと思いながら流され、修理してくれる人に対する畏敬の念もいつしかどこかに忘れてきてしまったように思う。
東北の震災による原発事故で電気をつくる資源が有限であり、資源を大切に使わなければならないということを私たちは思い知ったはずなのに相変わらず、使い捨て文化の中で生きているように思う。モノを大切にして修理して使えば、どんなに資源の節約になるだろうかと思う。
資源は有限であり、経済が永遠に持続的に発展することなどあり得ないことに誰もが気づきだしているのに、そのことに目を塞いで経済発展を訴える政治家の刹那的な先送り主義にまで思いを馳せるのは行き過ぎだろうか。
とりあえず、今日は、ミスターミニットの職人さんに素直に感謝したい。モノを大切にし、修理して使う社会に戻れるなら、もっと人々は、誇りを持って生きられるのではないかと思う。職人さんに畏敬の念を抱けるような社会は人間にとって幸福な社会ではないかと思うのだが。
(後記)
亭主よ、地雷を踏むなかれ!余計なお世話に注意!家内という文字は、「おっかない」という妻に対する畏敬の念に由来するのだろうか。その一歩、ちょっと待て!地雷踏まねば、家内安全?妻がこのブログを読んだ後に追記したので、後記とした。