最近、スポーツクラブの帰りに大戸屋で昼飯を食べることが多くなった。以前は、たまに行く程度だった。大戸屋に行くのは、気軽に和食の定食を食べられるお店が少なくなったことが大きい。
昔は、一汁三菜型の和定食が食べられる食堂がたくさんあったように思う。しかし、最近は、セントラルキッチン方式の飲食チェーン店が多くなり、昔のような店で調理した美味しい和食の定食が手頃に食べられる場所が少なくなり、出先で昼飯を食べる店探しに苦労する。
そうした理由から店で調理する大戸屋に行く機会が増えた。しかし、味に関しては、あまり評価していなかった。不味くはないが、最近まで美味しいとまでは言えないレベルだと感じていた。しかし、値段と食材の鮮度を考えれば、こんなものかという思いがあった。他に手頃な和定食を提供している店が少ないから仕方ないという消極的な選択から大戸屋で昼飯を食べていた。
しかし、季節限定で出てきたサンマの塩焼き定食を食べたときに、これは普通の料理屋で食べる定食と遜色なく、美味しいと感じた。「店舗で調理して提供するシステム」の良さをやっと感じた。以前、テレビでアジアに展開した大戸屋が現地で「高級和食店」として受け入れられていると報じられていたのを見て、ちょっとビックリしてしまった。正直、うんーんという違和感があった。
今でも大戸屋の定食は、日本では高級和食とはとても言えないが、鮮度のいい食材を使って店で調理して手頃な価格で美味しい和食を提供するお店のレベルまで来ているように思う。ただし、汁浸しの大根おろしは、賛成できない。出すときにザルで軽く水分を切ってから出してはどうだろうか。
一時は、セントラルキッチン方式が外食チェーンのスタンダードであったが、大戸屋は「店舗で調理して提供するシステム」で差別化に成功しているように思う。当然、値段は重要だが、食は、第一に美味しいということが大切なように思う。そうでなければ永く客から愛されないと思う。
大戸屋のこうした成功を見ると昔のイトーヨーカドーを思い出してしまう。私が学生だった、今から40年以上前の「イトーヨーカドー」は、デパートには到底敵わない安かろう、悪かろうのスーパーだったように思う。しかし、セブンイレブンの成功により、今では、品質のいい商品を消費者に届ける企業のイメージが定着した。
価格に応じた商品を提供するのではなく、消費者が満足する品質の商品を受け入れてくれる価格設定をどうやって実現するかが大切なのではないだろうか。比喩が適切かどうか分からないが、まず歌詞を作り、その歌詞のイメージを伝えるメロディを考えるべきのように思う。しかし、曲が先に出来上がってから歌詞が付けられて大ヒットした歌は、現実にはたくさんあることは知っているのでこの比喩はやはり失敗しているようにも思う。
(追記)
最近気づいたこと。食材の産地の表記をしている店としていない店があるようだ。この間行ったお店は、食材ごとの産地一覧表を店の入口の横に表示していたが、今日行った店は、見落としでなければ、産地の表示が出ていなかったように思う。
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