政治問題を書く理由
私は、正直、政治がらみの情報発信については、好きでもなく、普段はする気もない。しかし、今回、選挙前と選挙後についてブログで政治に関する話題を書いた。それだけ安倍政権に不安を感じているからだ。来年8月8日に「日本のいちばん長い日」という映画がリメイクで公開されるそうだ。私は、若い頃、この三船敏郎主演の映画を娯楽作品として映画館で見たが、詳しい内容は、覚えていなかった。今回、改めてあらすじを読み、そういうことだったかと思った。一番怖い人間は、思い込みに染まっている人だと思う。
私は、30代位まで選挙の投票に行かなかった。何故、行かなかったと言えば、仕事以外のことに神経を使う余裕がなかったことと、憲法を改正しようなどという不穏な動きが現実味を帯びるような事態もなかった。戦争体験をした人々が私の父を含め周囲にたくさんおり、戦争に、皆こりごりしていたと思う。そして昔以上に今は働き盛りの若者が選挙に行く精神的ゆとりがないように思う。
多くの人が投票に行かなかった理由
私は、若者に選挙に行けなどと言えた立場にはない。そして、今回の選挙については、投票しないことも立派な投票行動だったように思う。私自身、投票したいと思った候補も政党もなかった。でも一応、投票に行った。安倍政権の政策にノーと言いたいための究極の選択をしただけだ。
しかし、現状では、自民党以外に政権運営をできるレベルの政治家はいないのも現実だ。だから、一般的な国民は、とりあえずの政権運営を自民党に委ねざるを得ないと考えたのだと思う。投票に行かなかった人は、安倍政権を信任したのではなく、自民党の政権運営以外に選択肢が見い出せなかったので行かなかったのだと思う。私も直前まで投票に行くか、行くまいか迷った。
それでも投票に行った
そして、私は、投票に行った。できるだけ低い投票率で自民党と公明党が過半数を取るのが望ましいだろうと考えていた。自公で3分の2以上を獲得したことについては、少し残念だ。私は自民党に入れなかったが、民主党にも入れなかった。その理由は民主党政権で暴露された、野党の政権担当能力レベルのあまりの低さだ。まるで素人レベルだ。こんな人々が日本の代表だと世界に思われたら困る。
しかし、現在の日本の困難を招いた問題を隠蔽し、先送りして来たのは自民党だ。新しいリーダーが登場するまでのつなぎとして安定した政権を国民は望んだだけなのだと思う。もう少し「まだまし政権」の継続を国民は選んだだけのように思う。
白紙委任していない
安倍首相も維新の橋下代表も自分の意見を受け入れない他者に対する寛容性が低いように思う。政治家に自分の実現したい政策とビジョンがあることは、いいことだと思う。しかし、それは、あくまでも議論の末に一般の国民に示された選択肢でなければならないと思う。
安倍首相が、この道しかないと言って争点にしたのはアベノミクスだけだったはずだ。国民は、それ以外の事項について白紙委任した覚えはない。憲法改正も集団的自衛権も原発の再稼働についも十分な議論と説明が国民に示されていない。そして、こうした先にある日本の未来については、まったく不明であり、抽象的な財政ビジョンだけしか語られていない。不都合な事実には、何も答えていないと思う。
国民が望んでいること
安倍首相は自分の信念や使命感が本当に国民の期待に沿ったものか考えて欲しい。一般の国民が本当に望んでいるものは、平和であって武力ではない。そして、平和に暮らせる社会の維持を希望していると思う。維新の橋下代表が主張する大阪都構想や道州制についても国民レベルでは、ほとんど議論も理解も深まっていない。アメリカの連邦政府と州政府という構造が必ずしもいいことばかりではなく、地域エゴや対立の原因になっているのも事実だ。日本で仮に、大阪と東京の二つの都が生まれて、道州制が導入された場合、どういうメリットがあり、どういう問題が発生するのか具体的な事例研究が国民には示されていない。
今、読んでいる「縮小都市の挑戦」という本で財政破綻したデトロイトの問題が紹介されていた。税金の高いデトロイトでは、裕福な住民が居住する地区が自分たちの納めた税金を自分たちのために使いたいとデトロイトから独立したり、自動車メーカーが税金の安い地区に移転したりして、デトロイトの財政がさらに追い込まれているという。こうした地域エゴ、企業エゴの問題が日本でも起きる可能性があるように思う。
自治体の自主性の見返りに日本としての一体性が失われ、対立構造が鮮明になることはないのだろうか。橋下代表の民間が何でも優れているような発言や行動を見ると果たして本当にそうだろうかと思ってしまう。とりわけ利益追求のための効率化が最優先される大企業の経営理念は、公共と対立する反社会的な行動が、現実に存在することを橋本代表は認識しているのだろうか。
「この道」以外の選択肢はある
安倍首相や橋下代表の使命感や一貫性は、一般の国民感情とはかけ離れているように思う。選挙で勝てば何でもできるというような感覚は、独裁者の皮膚感覚なのではないだろうか。力があれば、何でもできるというなら中国政府と変わらないのではないか。まるで暴君の夫(もしくは女帝の妻)が、家を守りたいなら、何でも私に従ってついて来いと言っているように感じる。
強制される社会では、国民は窒息してしまう。自由と適切な制約こそ健全な社会が育まれるように思う。この道しかないはずはない。思い上がらないで欲しい。経済政策に賛成なら他の自分がやりたい政策も信任されたことになるという論理は、間違っている。
憲法改正など国民は望んでいない
今回の選挙結果は、国民がバカでないことが示すものだと思う。一般の国民は、優れたバランス感覚を持っていることが証明されたと思う。極右翼の次世代の党が壊滅し、共産党が躍進したことがその結果の表れのように思う。無論、一般の国民が共産党の政権運営を望んでいるわけではない。しかし、こうした選挙結果は国民が憲法改正など望んでいないことを示すものだと思う。いみじくも、落選した次世代の党の石原慎太郎氏が引退記者会見で次のように語っていることが印象的だ。
「憲法は良い意味でも悪い意味でも、これだけ日本社会に定着してしまうと、国民の関心はあまりない気がする。本当に憲法を変えなくてはいけないと考えている人は、残念ながら希少な存在でしかなくなったと思う。」
リーダーの資質
安倍首相、石原元代表、橋下代表の3人に共通した特長があるように思う。リーダーとして必要な使命感、一貫性は3人ともあるが、最も大切な真摯という資質が欠けているように思う。自分の思うとおりならないことがあると子供のように切れるような人に日本の運営を委ねることはできないと思う。
自然、文化、そして多様性
君が代を歌わないことが反戦の意思を示すものだとは思わないが、君が代を国歌として強制されるものイヤだというのが一般国民の思いのように思う。愛国ではなく、日本の自然や文化を大切にすることについては誰もが賛成できると思う。しかし、いかなる場合も国民の思想を矯正しようとするような行為には賛成できない。日本の自然や文化を尊重する一方で他者や多様性を認める寛容性を忘れてはならないと思う。それが真摯な国の条件のように思う。
村意識からの脱却、しがらみよ、さようなら!
しかし、一方で小渕氏の圧勝や生活の小沢代表の当選、そして鈴木宗男氏の長女の人気を見ると、身内のかばい合いや利益誘導に寛容な日本の風土が地方にはまだ多く残っているように思う。地方の自然や文化は大切だと考える一方で、地方に残る閉鎖的な村意識は、日本の再生のためにはかなぐり捨てる勇気が必要だと思う。
求められるのは共存共栄の精神だと思う。地域エゴは、いらない。小渕氏は若い。今回、出馬せずに指摘されている問題の真相を解明した上で出直すべきではなかったのだろうか。自分の意思で退路を断つべきだったように思う。結局、しがらみの連鎖が残ったように思う。
グローバル・スタンダードの本質
地方経済の疲弊の一因となっいる企業の地方からの撤退は、結局、人件費の安さという魅力が薄れた地域から企業が撤退し、人件費の安いアジアに生産拠点を移しただけのことのように思う。だから、アジアの人件費が日本国内より下がらない限り、アジアから企業が日本の地方に回帰することはないように思う。それを経営者や経済評論家は、グローバル・スタンダードだと表現したのだと思う。
アメリカのデトロイトでは、前出の「縮小都市の挑戦」によれば既に1960年代にこうした現象が起きており、決して日本の自動車メーカーの貿易輸出だけが原因でアメリカの自動車産業が傾いたわけではないように思う。アメリカの企業もコストの安い日本で生産する機会があったわけであり、要は、日本の文化を受け入れた商品開発や経営体制の構築に失敗したから日本で成功しなかったのだと思う。そうした努力をする代わりに日本の文化を貿易障壁として攻撃しているように思う。
グローバル・スタンダードは、コストだけを追求する企業行動に過ぎず、安いコストを求めて拠点を変更する企業行動が海外に出ることを正当化するだけの意味しかないように思われる。結局、グローバル・スタンダードは進出先だけでなく、企業自身の体力をも奪う、消耗戦のように思う。生き残りの方法としてのグローバル・スタンダードが、人件費を削減し、少数の経営側の人間だけが高い報酬を得て、労働者が部品のような消耗品として扱われるようなシステムなら持続的に成功することはないように思う。
やみくもなアメリカの経営手法の追随から脱却する時期に来ているのではないだろうか。何故、一部の経営者だけが高額の報酬を受け取り、それ以外の人々が簡単に人員整理される仕組みが優れた手法だと言えるのだろうか。ソニーは、日本で最もグローバル・スタンダードを取り入れた企業だろうと思うが、今や日本人からも憧れの対象から外れようとしている。ソニー製品は、もはやジャパン・ブランドですらないのかもしれない。
法人税を減税しても企業のコスト自体が下がるわけではなく、内部留保が増えるだけであり、その資金が労働者の賃金や地方への投資に回ると考えるのは早計のように思う。アベノミクスによるTPPの受入は、日本にコスト競争だけのグローバル・スタンダードが多方面に浸潤し、地方経済の疲弊をさらに拡大させる可能性があると思う。
そして、日本だけでなく、すべてのTPP参加国で所得格差が拡大するワールド・ワイド型の貧困社会が到来する可能性がある。社会の不安定化、社会的不満層によるテロの拡大が予想され、国家予算の多くが軍事予算に費やされる時代が来る恐れもあるのではないだろうか。と妄想してしまった。
→トップ5%と下位20%、アメリカの所得格差はこう変わった (米国)
統一地方選で国民の意思を示そう!
自治体の選挙は、政党も政権運営も関係ない。次の統一地方選挙で自民(隠れ自民の無所属を含む)以外の候補に積極的に投票することが安倍政権の不穏な行動を抑制することにつながるはずだ。皆で投票に行こう! おしまい
→低投票率、自民に利 平均、最低45.05% 41道府県議選(2015年4月統一地方選前半の結果)
(追記)
統一地方選で最初は「自公以外の候補」と書いたが、いろいろ考えて「自民以外の候補」に訂正。理由は、私が最も危惧しているのは、憲法改正であり、公明党は、憲法改正に積極的に賛成している訳ではないから。従って、統一地方選では、『憲法改正に反対か、「はい」か「いいえ」でお答えください。無回答の場合は「いいえ」とさせていただきます。』と候補者に尋ねればいいように思う。
安部首相や小泉元首相が使ったシングル一シューを争点とした解散総選挙に対する国民側からのブーメラン作戦だ。憲法改正に「どちらとも言えない」という選択肢はあり得ないと思う。無回答は、憲法改正に賛成という選択肢を保留する行為だろう。国民投票でも「どちらとも言えない」という選択肢はないはずだ。地方議員でも憲法については明確なビジョンを持った人を選ぶべきだと思う。最重要課題の憲法改正については、国民側にも問う権利がある。
〇「株高」の正体はただの「官制相場」:「GPIF」改革見送りの問題点
*実は、統計で判明している年明けから2月13日までの間、海外投資家は買っていない。
*今の株価を支えているのはGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)マネー
〇にわかバブルっぽい株式相場、そろそろ「降りる準備」をしたほうがよい 突然下落懸念も
*130兆円を超える公的年金(厚生年金と国民年金)を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)をはじめとする、「公的資金の買い」
*確かに、今の年金官僚達にとって、四半世紀先の運用失敗は責任を問われる可能性の無い「十分な長期」の下にあるのかもしれないが、多くの年金加入者にとっては、現実にリスクが存在する。
〇円安でも海外M&A過去最高ペース 背景を欧米メディアが分析
*少子高齢化による国内需要の低迷により、日本企業の多くが海外に成長の活路を見出していることが根本的な要因だと、各メディアは論じている。
(私見)法人税減税により増える企業の内部留保は、M&A等の海外投資と株主配当に使われ、国内の設備投資が増えることはないように思う。企業は、需要の減少が予想される国内から海外にシフトしていくだけで大企業の利益改善が地方経済や雇用の増加に波及することは考えられないと思う。安部首相はシンガポールのような国を理想としているそうだ。阿倍首相は「シンガポールに追いつき、できれば追い越したい。真剣に、そう思っています。」(ウィキペディアより)と発言している。
〇西川農水相の疑惑隠し謀略! 安倍自民党が産経を使い疑惑追及の民主党議員をデマ攻撃
*「いや、違法でないことは確認できましたが、記事にするかどうかは別で、上の判断になります」、「この取材そのものが、上からの指示で始めたものであり、記事を掲載するかどうかも上の判断です」
、そして、夕刊フジは掲載を見送ったものの、産経新聞は21日の朝刊で「西川農水相への寄付『脱法』追及 民主・玉木氏団体に280万円」という記事がでかでかと掲載されたのだ。
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