忘れられた人材育成
1月23日の毎日新聞の夕刊に「筑波大名誉教授・白川英樹さんの憂い ノーベル賞の裏で科学研究の危機が」という記事が掲載されており、興味深く読んだ。正直、やはりという思いがあった。米国から輸入した成果主義の弊害だ。仕事を効率的に進めることには賛成だ。最近は、経営者や経営幹部そして行政の執行にあたる人間が何かというと「スピード感を持って取り組んで欲しい。」と安易に発言することが多いように思う。こうした発言は、短期間の成果を求められるがちな経営者や経営幹部が自分たちのプレッシャーをそのまま社員に伝達しているだけのようにも感じる。
仕事の中で成果が求められるのは当然としても、それは担当している仕事や内容によって異なるはずだ。課された業務内容によって成果の評価の内容や方法、そして期間も異なるはずだ。営業担当者か、人事担当者か、研究者担当者かによって違うはずだ。そして、製品開発か、基礎研究かによっても違うべきだと思う。
それが最近では、効率優先の短期決戦ばかりを求める風潮があるように思う。米国流の経営手法や管理手法の結果が今の米国型資本主義の矛盾と破綻につながっているように思う。MBAの資格を持っている人間があたかも優れているような錯覚から目覚めるべきだと思う。経済は複雑になっているが、人間の行動自体は、それ程、進歩していないように思う。経営学に基づく分析より、もっと直感的な判断の方が私には、優れているように思える。
名経営者と言われているような人は、みんな動物的な直感が人並み以上に優れていたように思う。数学や統計学、そして科学だけで世の中が動くなら経営判断や政治判断の誤りは起こらないはずだ。そして、企業や組織が現在導入している成果主義制度の大半は社外の経営コンサルタントに委託して作られたイージーオーダーだ。組織の根幹にかかわる人事制度が米国型のコモディティ(汎用品)だということを忘れてはならない。
ちょっと、話が拡がり過ぎたが、白川博士も研究界の実情が成果主義に流れていることへの危惧を表明している。白川博士は、ノーベル賞を受賞した研究成果について「発見のきっかけは、プラスチックの合成中に薬品の量を間違えたミスだった。」と語っている。成果ばかりを追求する「成果至上主義が、研究者の興味に基づいた独創的な研究を阻害しているのです。」と言う。
→野依氏「過度の成果主義、排除が必要」STAPに幕引き、「理研改革に道筋」で辞任
「だから成果の出やすいテーマを選択せざるを得ない」のが任期制で採用された教員の現状だという。社会全体から人を育成するという視点が失われようとしているように思う。経営者も為政者も人材が大切だと口では言うが、実態は、米国流の使い捨て型社会の拡大に加担しているように思う。高額な報酬をもらっている経営者や経営幹部は辞めても困らないが、一般の労働者は失業すれば、すぐに困窮するのが社会の現状だ。
そして、コスト削減最優先の短絡的な先送り型の事業手法が続いている。成果を求める側のリスクヘッジがグローバル・スタンダードではないだろうか。グローバール・スタンダードを標榜する経営者や為政者は、自分の顔を鏡に映してじっくり見てみるべきだ。背後に何かが映っているかもしれない。
「(日本は)自然と共存しつつ自然を見つめ、利用するとの視点から、独自の科学を積み上げてきた。欧州にも負けないバックグラウンドがある」と白川博士は考えており、悲観はしていないという。頑張れ、若手研究者! おしまい
(追記)世の中、効率を説く人ばかりだが、「無用の用」という言葉もある。効率を追求しているうちに見落としたり、忘れてしまった大切なものがあるのではないだろうか。人は、効率と言う言葉で動くのではなく、意欲で動くもの。どうしたら従業員が意欲を持って仕事ができるかを考え、従業員の仕事の環境の改善に腐心するのが上に立つ人の仕事ではないだろうか。とふと思った。
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