グローバル・スタンダードの本質
日経ビジネスの「欧米に洗脳された日本の経営者 公益資本主義を説く原丈人氏に聞く」というタイトルの記事を読み、過去の私のブログの記事(以下抜粋)を思い出した。
『地方経済の疲弊の一因となっいる企業の地方からの撤退は、結局、低人件費の魅力が薄れた地域から企業が撤退し、人件費の安いアジアに生産拠点を移しただけのことのように思う。だから、アジアの人件費が日本国内より下がらない限り、アジアから企業が日本の地方に回帰することはないように思う。それを経営者や経済評論家は、グローバル・スタンダードだと表現したのだと思う。
「縮小都市の挑戦」(矢作 弘著)によればアメリカのデトロイトでは、既に1960年代にこうした現象が起きており、決して日本の自動車メーカーの貿易輸出だけが原因でアメリカの自動車産業が傾いたわけではないように思う。アメリカの企業もコストの安い日本で生産する機会があったわけであり、要は、日本の文化を受け入れた商品開発や経営体制の構築に失敗したから日本で成功しなかったのだと思う。そうした努力をする代わりに日本の文化を貿易障壁として攻撃しているように思う。
グローバル・スタンダードは、コストだけを追求する企業行動に過ぎず、安いコストを求めて拠点を変更する企業行動が海外に出ることを正当化するだけの意味しかないように思われる。結局、グローバル・スタンダードは進出先だけでなく、企業自身の体力も奪う消耗戦のように思う。生き残りの方法としてのグローバル・スタンダードが、人件費を削減し、少数の経営側の人間だけが高い報酬を得て、労働者が部品のような消耗品として扱われるようなシステムなら持続的に成功することはないように思う。
→ホンダとマクドナルド、その共通点~ホンダとマクドナルドに共通するもの。私は目先の数字目標が身を削る経営を引き起こしたと考えています。
→シャープ、3500人の希望退職者を募る 最終赤字は2223億円
やみくもなアメリカの経営手法の追随から脱却する時期に来ているのではないだろうか。何故、一部の経営者だけが高額の報酬を受け取り、それ以外の人々が簡単に人員整理される仕組みが優れた手法だと言えるのだろうか。ソニーは、日本で最もグローバル・スタンダードを取り入れた企業だろうと思うが、今や日本人からも憧れの対象から外れようとしている。ソニー製品は、もはやジャパン・ブランドですらないのかもしれない。
→ソニーに「夢」「感動」を期待するのは、もうやめにしよう 10年超も構造改革の異常さ
法人税を減税しても企業のコスト自体が下がるわけではなく、内部留保が増えるだけであり、その資金が労働者の賃金や地方への投資に回ると考えるのは早計のように思う。アベノミクスによるTPPの受入は、日本にコスト競争だけのグローバル・スタンダードが多方面に浸潤し、地方経済の疲弊をさらに拡大させる可能性があると思う。そして、日本だけでなく、すべてのTPP参加国で所得格差が拡大するワールド・ワイド型の貧困社会が到来する可能性がある。社会の不安定化、社会的不満層によるテロの拡大が予想され、国家予算の多くが軍事予算に費やされる時代が来る恐れもあるのではないだろうか。と妄想した。』
空気はきれいだし、ゴミも落ちていない!
原丈人氏がインタビューの中で発展途上国の要人を連れて東京見物したときの話が印象に残った。東京を案内された要人の「空気はきれいだしゴミも落ちていない。交通の秩序もあり、電車に乗る人はきちんと降りる人が出てくるのを待っている。こんなにいい国は見たことがない。」という発言だ。この発言は、日本は、日本独自のやり方で日本社会のあり方を考えるべきという裏付けを与えてくれているように思う。米国人でも疑問を持つ株主偏重の米国流グローバル・スタンダード経営ではなく、原氏の唱える日本流の公益資本主義という考え方に共感を覚えた。
最近のニュースで企業の業績が大きく回復して内部留保が増加しているにもかかわらず、企業の国内の設備投資は依然増えていないことを伝えていた。一方、大企業は海外でのM&Aを加速させているという。株価は上昇し、配当を増額する企業が増えているという。しかし、株式市場への資金の出し手は、海外ファンドや富裕層が中心であり、法人税の減税により増加する企業の内部留保の多くは、配当という形で海外や富裕層に還元されていくだけではないのだろうか。また、海外でのM&Aに多額の内部留保が原資として使われる反面、国内の設備投資が増えない中で地方の雇用拡大が望めるのだろうか。一方、復興支援のために集めた税金が、復興とは無関係の公共投資に使われており、昔見た年度末の道路工事が最近増えている。これではだまし討ちのようなものだ。
→上場企業役員の報酬総額、1位孫社長は95億円 “年収1億円超”443人リストの決定版~株主還元を手厚くすれば、自社株を大量に保有する経営者をも潤すという側面も頭の隅に置いていてもよいだろう。
→キヤノン、“老害経営陣”に滅ぼされる?悪びれもせず超高額報酬を得る経営トップたち
最近、トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」が注目され、格差問題が盛んに論議されているが、私は、安易な意見も多いように思う。例えば、貯蓄税を導入することで資本格差が是正され、眠っている資金が株式市場等に流出し、経済にいい影響を与えると主張している人がいる。本当にそうだろうか。日本に限らず、世界の株式市場の乱高下は、ほとんどの場合、海外ファンド資金の利益追求によるものと想像される。だからプロでも難しい株式投資は、国民を博打に誘導すようなものだ。
貯蓄税の対象を例えば、2,000万円超とした場合でも、普通の家庭に大きな打撃を与えることになると思われる。とりわけ、老後の生活を年金収入に頼っている世帯の大半は、年金で不足する分を過去の退職金等の貯蓄を取り崩しながら生活しているのが実情だと思う。1月からの相続税の増税は、都心に住む年金生活者の生活をさらに脅かす可能性がある。地価の高い住宅に住んでいるだけで、年金以外に収入のない世帯は、世帯主が亡くなった場合、多額の相続税の負担がのしかかる可能性があり、その上、生活費のための貯蓄まで税金がかかることになれば、生活に困窮する人々が出てくる可能性がある。
こうした問題は、現在の年金受給者だけでなく、将来の年金受給者により大きな生活不安を招くことになるだろう。国民年金を払わない若者が多くおり、年金がもらえるかどうか分からないから払わないと答えている。しかし、自分で貯蓄して老後に備えようとしている若者は、その貯蓄に貯蓄税がかかるなら追い打ちを掛けられることになる。 また、所得の低い若者は、実家暮らしの人が多いと言われ、親が死んで多額の相続税の負担から住居さえ失う可能性が高い。そして、運良く相続財産として残った貯蓄があってもそれも貯蓄税がかかるとしたら、若者は未来に希望が抱けないように思う。
→IoT革命:マイナンバーで金融資産課税も俎上に=伊藤・東大院教授~政府が財政再建を進める中で、マイナンバー制度を活用した国民の金融資産の捕捉と資産課税に向けた議論を進める必要性もあると述べた。
資本格差の問題は、ピラミッドの頂点にいる人たちとの収入格差の是正が中心に行われなければならないと思う。こう言うと、決まり文句で優秀な人材が海外に出て行ってしまう可能性があると主張する人々がいる。しかし、日本の過去の企業発展は、一部の天才の働きによって生まれたものではない。それどころか、明日を良くしたいという普通の人々の努力で今の日本社会が形成されたことを忘れてはならないように思う。
日本は、バブル経済による過大投資の清算とグローバル化によるコスト競争で競争力を失った時機があった。そして、日産のようなドライなコスト削減で再生した企業もある。しかし、日産の再生のために切り捨てられた多くの下請企業もたくさんある。しかし、こうしたグローバル・スタンダード経営が現在、行き詰まりを見せているのではないだろうか。
技術革新と発展途上国の低賃金に支えられてきたグローバル・スタンダード経営が、所得格差を拡大させ、貧困を原因とするテロを生み出したように思う。技術革新もグローバル・スタンダード経営も結局、人間を幸せにしてこなかったように思う。大きな富を得た人々も資産は形成できたであろうが、幸せな人は少数なのではないだろうか。多くの人は、社会に貢献しているという自負に大きな幸せを感じるのではないだろうか。
中間層の維持・拡大を考えるべき
安倍首相の目差す「誰にでもチャンスのある社会」とは、能力と運のある人がお金持ちになれる自己中心的な社会ではないのだろうか。私は、日本の発展を支えてきた中間層を維持・拡大する努力が大切なように思う。今の貧困層の増加の多くは、中間層から転落した人たちやその子供たちなのではないだろうか。
突然のリストラや病気、そして親の介護等々により生活に困窮した人々が増えているのに有効な対策を打てない、選挙が一番の政治家の責任は大きい。貧困層の人を中間層に引き上げる一方、高額所得者には、応分の負担を求める社会が望まれるように思う。貧困から抜け出せない層の人々を国だけでなく、国民がボランティア等の活動を通じて支えていくことが現実的だと考える。
中間層世帯の定義は難しいが、生活に不安のない所得を得ている世帯だろうか。ところで、正規か、非正規かという論議で格差のない同一職種同一賃金を主張する人々がいるが、逆にそれは、職種を変更しない限り賃金が固定化することにもなり、労働意欲と生産性の低下をもたらすことになるだろう。職種が同一でも現実に知識や経験で能力に大きな違いがある。同一職種同一賃金は、経験の蓄積や技能の向上が所得アップにつながらい可能性がある。
また、柔軟な人の異動が困難になるというデメリットが生じるのではないだろうか。衰退分野から成長分野への労働の移動も進まなくなるように思う。そして、「同一労働同一賃金」という言葉も私には単なるキャッチフレーズに過ぎないように思える。労働の質を図る物差しなど存在しないし、この言葉の対象になるのは、誰にでもできる単純作業くらいだろうか。しかし、単純作業ですら、大きな個人差があるのが現実のように思う。
経営側から見れば、賃金上昇を抑える口実にもなる。経営側には、正規社員の待遇を落として非正規の待遇に近づけるという選択肢もある。非正規と正規の社員の賃金格差の解消を目指すなら短絡的なキャッチフレーズでなく、もっと緻密な対策を提案するべきだと思う。
賃金差別は、働く人のモチベーションには必要不可欠だとも思う。賃金が低くとも中の下くらいの生活が維持できればそれはそれでしょうがないように思う。中間層に上から下までに一定の幅があることで努力すれば中間層の上まで行けるチャンスがあるべきだと思う。安倍首相の言う「誰にでもチャンスのある社会」は具体的でなく、その中身は、宝くじの確率である可能性もある。
NHKでヘイトスピーチを過去にしていた人がインタビューに答えていた。その人は、奨学金を得て学校を卒業したが、結局、正規の職に付けずに社会に対する疎外感を持ったようだ。優秀な外国人が奨学金をもらえることに不満を抱いているとも発言していた。日本の国は日本人のためのものだと言っていた。貧困や格差を放置すれば、それはテロ等の反社会的な行動を生み、社会を不安定化させることにつながるように思う。
博打みたいなチャンスではなく、普通の人が普通に生活できることが暮らしやすい社会ではないだろうか。単純に格差を否定するような社会もそれはそれで不満を抱く層を抱えることになるようと思う。論理の単純化は怖い!世の中、キャッチフレーズがキャッチフレーズに過ぎないことが多い。世の中それ程単純じゃない。うまい話は、詐欺の可能性がある。政治家は、選挙だけ。私たち国民も選挙だけに目を向けている政治家からさよならする時期に来ているのではないだろうか。
おしまい
〇世界は今こそ西欧的発想からの脱却が必要だ 英米メディアが注目するインド人随筆家パンカジ・ミシュラ氏に聞く
*そもそも人は皆、特定の生き方を強要されるようなことがあってはなりません。どの社会も、異なる考え方、異なるライフスタイルを追求できる余地というものを確保すべきでしょう。
*私たちは国家の指導者たち、あるいはエリート官僚に頼りすぎていると感じます。彼らは常に自分が関心のある問題と次にやってくる選挙のことで頭が一杯です。
〇欧米に洗脳された日本の経営者 公益資本主義を説く原丈人氏に聞く
*日本の国としてのクオリティーは、グローバルの視点から見ても非常に高い水準にある。何も、欧米諸国の考え方をそのまま受け入れる必要などない。日本は日本独自の発想で、経済を動かしていけばいいのだ。
〇効率より人を重んじた思想家
*経済と人間の旅 [著]宇沢弘文
〇円安でも海外M&A過去最高ペース 背景を欧米メディアが分析
*少子高齢化による国内需要の低迷により、日本企業の多くが海外に成長の活路を見出していることが根本的な要因だと、各メディアは論じている。
(私見)法人税減税により増える企業の内部留保は、M&A等の海外投資と株主配当に使われ、国内の設備投資が増えることはないように思う。企業は、需要の減少が予想される国内から海外にシフトしていくだけで大企業の利益改善が地方経済や雇用の増加に波及することは考えられないと思う。阿倍首相はシンガポールのような国を理想としているそうだ。阿倍首相は「シンガポールに追いつき、できれば追い越したい。真剣に、そう思っています。」(ウィキペディアより)と発言している。
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