久し振りの下北沢
最近、40数年振りに下北沢に行った。大学時代に友人が下北沢のアパートに下宿していて泊まりに行った時以来だと思う。記憶が少し曖昧なので断言はできない。友人の部屋は道路に面した1階だった。泊まった翌日の朝、まだ二人とも寝ていたところにドアをトントンと叩く音が聞こえたと思ったら、いきなりドアが開いたので飛び起きたら、直ぐバタンとドアが閉まり、人が駆け去る足音が聞こえた。相手の姿は見えなかったが、間違いなく泥棒さんだったと思う。この出来事は、今でも時々思い出す。
ジェーン・ジェイコブズの四原則がすべて当てはまる街
今回は、駅前の本多劇場で上演される寸劇を鑑賞するのが目的で訪れた。開演時間まで時間があったので、帰りの食事の場所を物色した。土曜の夕方だった。劇場を出た外の道路は、歩道がなく、迷路のようにつながっていた。葛飾の高砂界隈とも異なる風情の垢抜けた”下町”のような雰囲気がある。しかし、道路幅は、こちらの方が狭いように思う。道路沿いの建物は低層の店舗が多いが、中層のマンションもある混沌とした区域だ。飲食店の隣に小さな衣料品店があったりする。
最近の業種単位で整然とゾーンニングされた、アウトレットとは異なる親しみやすさがある。アウトレットは、もともと好きではないが、家内に付き合って郊外のアウトレットに行くことがあるが、私は、大体、併設されたフードコートで一人、家内がウィンドショッピングから戻って来るのを待っていることが多い。しかし、下町の商店街を散策するのは好きだ。多様な小さなお店は、心惹かれるものがある。その理由を考えていて私の「木になる芽」のコーナーに掲載した以下の記述を思い出した。
『日本の風土に最も合うのは、下町文化ではないだろうか。そして、著者が本書(「縮小都市の挑戦」)の中で紹介している、ジェーン・ジェイコブズが提示した、都市が活力を維持したり、復活したりするために守るべき四原則に日本の下町が当てはまるように思う。その四原則とは、①街路は狭くて短いこと、②古い建物を残し、利活用すること、③人口密度が高いこと、④多機能的な地区が寄り添っていることだそうだ。』
下北沢は、①~④までの条件がすべて当てはまる。そして、交通の利便性がいい。急行なら若者に人気の渋谷まで5分(普通でも8分)だ。交通利便性と相まって、若者が多く集まる街になっているのだろう。
対極の郊外に拡散する街
一方で、URがこれまで手掛けた都市づくりは、ジェーン・ジェイコブズの四原則からすべて外れている。そして、交通利便性も駅からバスや車でつなぐ、郊外に拡散する街づくりばかりだ。現在進んでいる少子高齢化社会には、とても住みづらい街づくりだ。しかも、そうした反省もなく、現在でもこうしたニュータウンの未分譲の土地の処分を目的とした販売を続けている。人口が減り、空き家が増え続けているときに時代に対応した政策が打てない行政の硬直性を感じる。国がコンパクトシティを進めようとしている時に逆走する時代遅れの、渡り始めた道路を引き返せない哀れな猫のようだ。
しかし、残念ながら下北沢も駅前の再開発が予定されている。「東京・下北沢では2013年3月に小田急線が地下化。地上施設の撤去が進むなか跡地利用についてのワークショップが開かれ、早ければ15年にも緑地などの整備が始まる。」そうだ。きっと街はきれいになるだろう。しかし、「都市が活力を維持したり、復活したりするために守るべき四原則」からは、はずれることになるのだろうか。
ちょっと唐突で申し訳ないが、私は、茨城の街並みが好きになれない。車線の多い広い道路が拡がり、歩道の整備された地区が多く、沿道には、チェーン店がひしめいているが、車の中から見る街は、何か人気を感じない無機質さがある。その象徴が筑波学園都市だろうか。広大な土地が整然とゾーニングされているが、そこに住みたいという気持ちが起こらない。
下北沢は、若者に人気の渋谷から近いということもあり、若者が多く集まるのだろう。しかし、それだけでなく、ジェーン・ジェイコブズの四原則に合致していることも大きな魅力になっていると思う。古い建物は賃料が安く、低資本で(若者が)事業を始めるのに都合がいいというメリットをジェーン・ジェイコブズは説いている。下北沢は、人が集いやすい街づくりのヒントがあるように思う。
自分の足で探すグルメの歓び
ところで、私は、美味しい店を探すのが好きだ。昔は、自分の足で歩いて探していたが、最近は、行き先の地区のグルメを検索サイトで調べてから店に行くことが多い。しかし、検索サイトやテレビのグルメ情報は、必ずしも当たりばかりではないように思う。行ってみるとハズレということが結構多い。今回は、ネットでは行ってみたいと思うような店が見つからず、観劇の前の空き時間に通りを散策してみた。
しかし、まだ夕方で開店している店が少なく、結局、和食が食べられる手頃な店ということで夕食のお店を探した。そして、お通し、サービス料なしという案内看板がふと目に留まり、お刺身と鍋料理が食べられる店という理由でその案内看板の店にすることにした。正直、入るまで不安だったが、他に良さそうな店も見つからなかった。
劇場がはねてから案内看板の店に向かった。店は通りから路地をちょっと入った地下で、狭い階段を降りたところにある。階段を降りて行くと入口の手前に路上の焼き鳥屋によくある防寒対策のための透明なビニールシートが暖簾のように地面まで下がっていた。ちょっと躊躇したが、覚悟してビニールシートの隙間を抜けて店の入口の扉を開けると薄暗い店内の様子が目に飛び込んできた。
するとテーブルの向こうに座った、客と思われる若い女性と目があった。それで、逆に安心感を覚えた。店員に通された薄暗い個室?は、まるでかまくら(雪洞)のようだった。時間は午後7時を回っているのに客の入りは少なかった。一瞬、料理は期待できないだろうと思った。
しかし、予想は見事に外れた。お通しもサービス料もないのは、単なる客寄せではなく、良心的な店であることを伝えるためだったようだ。運ばれた来た料理は、どれも美味しく、値段も手頃で最近、発掘した店の中ではピカイチだった。手頃な値段でこんな美味しい料理を出してくれる店は最近では珍しいように思う。このお店は、外から店の中の様子が窺い知れないことで損をしているのかもしれない。あるいは、隠れ家的な雰囲気を出すための演出なのかもしれない。
刺身は、ホウボウの刺身とアジの活き作りを頼んだ。新鮮でとても美味しかった。アジは、皿の上でヒレがまだときどき動いていた。食べた後のアジの頭と骨が、後からサービスで唐揚げで出てきたときは、間違って他の客に出す料理を運んできたのかと思った。至れり尽くせりだ。生ビールを飲んだ後にお酒を頼んだ。一番値段が安い、イチオシと書いてあったお酒を熱燗で頼んでみたが、美味しかったので、最初の燗が空になったところでもう1合追加した。
里芋の唐揚げを頼んだら、出汁で煮た後に揚げたらしく、何も付けないで食べてもとても美味しかった。ちゃんと一手間掛けてあり、値段も手頃だ。後でさらに一皿追加注文した。他には、ちくわの磯辺揚げ、おでん、ヤキトンと焼き鳥を少量頼んで味見してみたが、どれも一定以上のレベルをクリアーしていてハズレがないのに驚いた。美味しいものを提供したいという料理人の気持ちが伝わってくる。料理を運んでくる店員の人にも感謝の気持ちが湧いてくるから不思議だ。
エシャロットは、横に削り節の上に乗せた味噌が添えてあり、その削り節と味噌を和えてエシャロットに付けて食べると普段食べているより美味しく感じた。それで、最近、家でもモロキュやエシャロットを食べるときは、お店の真似をして横に削り節と味噌を添えている。ちょっと遠いが、また来店することを家内と誓った。
客も8時半を過ぎ頃から増えてきて、帰る頃には客の注文する声で店は、活気に溢れていた。誰かが美味しい!と叫んでいる声が聞こえた。後で気づいたのだが、テーブルの横の壁に貼られた小さなプレートにに休前日と金曜日は混むので、2時間制限にさせていただきますと書いてあった。知る人ぞ知る繁盛店のようだ。 おしまい
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