貧乏と貧困は違う
私が、育った子供だった昭和30年代は、皆が貧乏だったように思う。私の父は公務員だったが、当時の公務員は安月給だったから決して豊かな暮らしではなく、貧乏と言えば、貧乏だった。しかし、周囲も皆、貧乏だったから貧乏が恥ずかしいという気持ちはなかった。貧乏、皆で貧乏なら怖くないということかもしれない。ただ、貧乏と言っても光熱費が払えないとか、食べるものに困るというようなことはなかった。何しろ、物価が安かったように思う。何でも数十円で済んだ。電車賃も食品も皆、数十円だった。幼い頃は、松茸もまだ安かったように思う。おばちゃんが松茸ご飯をよく作ってくれた。
衣類は、大抵、兄たちのお下がりを着ていた。たまにデパートで父が買ってくれた服は、晴れ着として大切にしていた。ズボンは、破れれば、つぎはぎをしてはいていた。幼い頃、水の入ったコップに砂糖を入れてそれをスプーンでかき回して溶かして飲んでいた記憶がある。就学前に住んでいた官舎には、お風呂がなく、近所の銭湯に兄といっしょに通っていた。
こうして思い出してみると貧乏だったが、貧困ということはなかった。6畳一間に壁際に兄弟3人の勉強机を並べ、残されたスペースが居間であり、寝るときは、兄弟3人の布団を敷いて寝ていた。娯楽は、ラジオだけだった。テレビが我が家に入ったのは、小学校5年のときで、それまでは、テレビのある近所の家にテレビを見せてもらいに行っていた。
核家族化の進行
現在の貧困の問題は、いろいろあるが、核家族化が進んで支え合うしくみがなくなってしまったことが大きいように思う。私は、小学生くらいまでおばちゃんと同居していたのでおばちゃんが我が家の家事負担を支えてくれていたのだと今頃になって気づかされている。
福井県は、世帯所得が高く、持ち家率も高い。そして夫婦共働き世帯が全国第1位だそうだ。貧困に陥りにくい条件が揃っているように思う。国は、社会保障費の削減のために医療も介護の担い手を家庭に移そうとしている。しかし、核家族化はどんどん進行しており、一人世帯も増えているのに家庭が医療や介護の砦となることはあり得ないのが現実のように思う。
病院や施設から老人を追い出すだけの無能な方策は、結局、労働人口のさらなる減少を招くだけだろう。若者が親の介護のために会社を辞めるような選択は、貴重な労働力の喪失という問題だけでなく、その先には貧困が待ち受けているように思う。誰もいない家に老人を戻しても孤独死につながるだけだと思う。
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医療や介護の現場の労働環境の改善
かと言って病院や介護施設も深刻な労働不足状態にあり、予算を少しばかり増やしても焼け石に水のように思う。家庭が壊れてしまった今、昔のような家庭の再生は、不可能だし、国が介入する問題でもないように思う。結局、血縁とは関係のない、様々な世代が助け合えるしくみを社会の中に作っていくしかないように思う。医療や介護に携わる人たちの所得を上げることはとても大切だが、所得を増やすだけでは問題は何も解決しないように思う。
どうやって医療や介護の現場で働いている人たちの労働環境を改善するかが最も大切だと思う。最近は、ロボットを使って省力化を図るということが注目を集めている。しかし、ロボットを導入したら本当に現在の長時間労働といった深刻な問題を解消できるのだろうか。人が長時間労働を続けながらモチベーションを維持することには限界がある。限界を超えれば、人はうつ症状を発したり、体調不良で労働の質が低下することになるだろう。ひいては、仕事に対する誇りや愛着心が失われ、離職していく人が増え、残った人も労働が過重になり、さらに職場を去って行く人が増えるだろう。
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社会に幸福感のない国
私は、日本はもう規模の経済を追うのは止めるべきだと思っている。しかし、膨れ上がった財政負担はどうすればいいのだろうか。やはり、支出を減らすしかないのではないかと思う。海外への経済援助も日本の実際の能力に見合った負担にすればいいのではないだろうか。GDPが増えても貧困率が高く、社会に幸福感のない米国や韓国、そして日本は、ちょっとおかしいと思う。
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国民が幸せを感じられないような社会がいいはずはないと思う。私は、30代の頃、自分より若い人を見ると私が通り過ぎた道をもっと楽しく、幸せに歩いて行くのだろうなと思って羨ましく感じたことを覚えている。しかし、現在は、若者に対してを羨ましいという気持ちがなくなってしまっている。
それは、将来を展望したときに、今は悪いが、先はきっとよくなるはずだという気持ちが湧いてこないからだと思う。温暖化、エネルギー不足や食糧不足の深刻化、原発の事故や廃炉問題の現実化等々、数え上げたら切りがない程、難問ばかりが将来に亘って横たわっているように思う。そして、科学技術がどんなに進んでもこうした問題が将来、解決されているように思えないからだ。ひょっとする人類も恐竜と同じように絶滅するのかもしれないと半ば冗談で思ってしまう。
福島の原発事故まで放射能による地球の汚染などということは、SF映画の世界の話のように思っていた。しかし、よくよく考えれば、日本は、原爆が投下された国であり、巨大地震がいつ起こっても不思議でないことを考えると原子力規制委員会の見解など何の役にも立たないように思う。宇宙を想像すると地球も人間の営みも一瞬の出来事のような気がする。
しかし、だからこそ命や日々を大切にしたいという気持ちが湧くのではないだろうか。幽体離脱のように視点を変えて自分たちの頑なな考えから抜け出せば、意外と新たな解決方法を見つけることができるかもしれないという根拠のない思いも湧いてくる。
良質な住環境が大切
貧困という問題は物質的な問題だけではないように思う。心の貧困という問題もあるように思う。衣食住という言葉があるが、私は、優先順位を考えたら住・食・衣の順ではないかと思う。住むところがあるということが最も大切なように思う。だから貧困対策で一番大切なのは、困っている人になるべくいい住環境を提供してあげることが大切だと思う。
👉家賃を下げろデモ! 〜住宅問題でも声を上げ始めた若者たち〜そうしてこの日、スピーチのトリを飾ったのは「ハウジングファースト」という言葉をこの国に広めた第一人者、もやいの稲葉剛氏。…「家賃の負担が苦しいなら、声を上げればいいんです。賃金が低くて困ってるなら、声を上げればいいんです。奨学金の返済に困ってるなら、声を上げればいいんです。困ってる、給料上げろ、保育園見つからない、日々の生活どうしたらいいのかわからない。そういう人たちが今やマジョリティなんですよ。マジョリティの私たちが声を上げて、この社会を、政治を、変えていきましょう!」
👉「一億総下流時代」到来!? 若者が「下流老人化」を防ぐために今出来ること――NPO法人「ほっとプラス」代表・藤田孝典さんに聞く
→貧困問題を解消するには、空き家を活用せよ 「下流老人」著者が提言する格差是正の処方箋~生活が困窮する大きな原因のひとつが、冒頭のエピソードのような「住宅」の問題だ。
→生活困窮者に「家」を提供すれば、社会保障費は削減できる~このアプローチは治療・社会復帰のいずれの面からも良好な成績を挙げ、その上にコストも減らせることが判明した。
→都会の片隅で“見えないホームレス”になる貧困女性たち~彼女に自宅はなく、ネットカフェなどを転々とする生活を、なんと5年間も続けている。
→渋谷区がLGBTに優しくホームレスに厳しいのはなぜ? マツコも憤るLGBTの商売利用
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生活する場所があれば、極端な話、戸建てなら庭で野菜を育てて自給自足で生活することも可能だ。実際に、低所得の零細農家が暮らしていけるのは、自分が食べる分は自分で賄っているからだと思う。そして、こうした農家の人たちは不幸だろうか。きっと都会で仕事に追われ、働いて疲れて眠るだけの若者より幸せだと思う。また、自分が生産したものを他の生産者が生産したものと交換することで食卓を豊かにすることも可能だ。
しかし、生活保護の支給を受けてもアパート代や光熱費で多くが消えてしまうなら、自炊能力のない人の物価の高い都会での食卓は、カップ麺等のコンビニ食が中心になってしまうのではないだろうか。これは、貧乏ではなく、物心面ともども貧困だろう。住まいがゴミ屋敷のようになっている人は貯蓄があったとしてもそれは貧困生活と呼ぶべきものなのではないだろうか。
空き家の活用
少子高齢化で空き家が増えているのにその空き家が活用されずに放置されているという。空き家の所有者があまり貸したがらないという。人に貸すとなかなか返してもらえないかもしれないし、あるいは先祖の墓参りで故郷に帰って来たときのために使うから人には貸したくないという人もいるという。しかし、家は人が住んでこぞ意味がある様に思う。宝の持ち腐れだと思う。別荘ならともかく、離れた二つの家に同時に住むことはできない。
廃校の活用
所有者の固定資産税を免除することで空き家を貧困で苦しんでいる人に開放できないだろうか。例えば、母子家庭のためのシェアハウスというのはどうだろうか。過疎の村や町の自治体が人口対策として母子家庭を受け入れてはどうだろうか。あるいは、廃校を母子家庭の住居兼用の職場としたらどうだろうか。
できれば一部の教室は、子供たちの保育や学習の場に使い、他の教室は、親の仕事場にすれば、職住が同時に提供できる。職場となった教室は、インターネットを活用したビジネスや手工芸品の製作販売等の雇用の場に活用してはどうだろうか。親も安心して働けるのではないだろうか。また、副業で休耕地を活用して農産物を生産をし、生産したものを加工してネットで販売してはどうだろうか。過疎地に住まいと仕事が生まれれば、そこに人が集まってくるように思う。場当たり的な国の地方創生事業に頼っても平成の大合併の二の舞になるだけのように思う。地方創生事業も結局、その中身は、選挙のための利益誘導政策に過ぎなかったようだ。
例え、高い所得が得られなくとも安定した生活の基盤が提供されるならば、住みづらい都会で生活するよりずっといいように思う。子供も自然の中でのびのびと生活することができるように思う。都会よ、さようなら!田舎よ、こんにちは!だ。都会の便利さは、なくなっても困らないものばかりのように思う。都会の空気が懐かしくなったら、ときどき、上京すればいい。人は貧乏には堪えられるが、貧困に耐えることは難しい。平気で嘘をつく政治家や官僚を当てにするのはもう止めにしよう。
→貧困状態でも生活保護を選べないシングルマザーの葛藤。~「児童扶養手当は、シングルマザーの圧倒的多数、73.2%に利用されています」
ボランティア活動の限界
そして、有志のボランティア活動にも限界がある。貧困の当事者の人とボランティアの人たちとの共同作業の先にしか解決の糸口はないように思う。困っている人は、社会の助けを積極的に受け入れる一方で自分でできることを模索し、協力し合うしかないのではないだろうか。人から自立を促されるのは、決して楽なことではないように思う。自立とは、促されるものではなく、自分で道を見つけたときに始まるもののように思う。
貧乏でも住むところに困らなければ、貧困に陥らないように思う。ボランティアで住を提供するのはとても難しいが、衣食の提供ならそれ程難しくないように思う。行政が行う貧困対策は、住対策を重点的に進めるべきだと思う。過疎に悩む地方にこそ貧困対策を街づくりにつなげる資源が豊富なように思う。コストの高すぎる都会にはどう考えても貧困対策を街づくりに変える資源も能力もないように思う。ただ、過疎地でも交通の利便性だけは必須のように思う。ヒト、モノの移動が不便では、ネット販売等のビジネスも成立しないように思う。
最近読んだ本
最近、貧困問題に関する書籍と雑誌を読んだ。一つは、「日本の大課題 子どもの貧困 ─社会的養護の現場から考える 」(池上彰 編集)だ。児童養護施設の実態を伝える本だ。私は、児童養護施設については、言葉以上のことは知らなかったように思う。池上氏はこの本を通して児童養護施設の抱える問題を世間の人に知って欲しいと考えたようだ。
児童養護施設に居られるのは、原則、18歳未満までで、18歳を過ぎると施設を出て社会的に自立することが求められる。しかし、現実には、18歳で住むところを確保して就職先を見つけるのは容易ではないことが語られている。そして児童養護施設出身者が社会に出て行くためには、大学を卒業することがとても大切だという現実が指摘されている。採用企業が出自を調べて採用を取り消す例もあり、「〇〇大学の卒業生」という肩書きが社会的信用につながる面を否定できないという。こうした子どもたちへの支援は将来の納税者を送り出すためのものと考えるべきだということが語られている。
そして、もう一つは、最近、話題になっている東洋経済2015年4月11日号の「貧困の罠」特集だ。この特集は、病気や介護、リストラで普通の人が簡単に貧困に転落する実態を取材したもので、日本の生活保護行政のお粗末さを指摘している。日本の生活保護の特長は「家族まかせ」ということだという。
日本の生活保護の水準は、先進国の中でも低く、相対的貧困率は、アメリカに追従するように高い。しかも、生活保護を利用する人の割合が極端に低いそうだ。セーフティネットが劣悪な環境で今、政府は、簡単に人のクビが切れるような雇用制度の導入を検討しているのも現実だ。「ここがすごいよ、日本人!世界から唖然とされる日本の現実!」というタイトルの番組を作って日本の悪いところも紹介したらどうだろうか。 おしまい
→高学歴女子ゆえに地元で職につけない…地方公務員ワーキングプアの不条理な実態
→増え続ける「下流老人」とは!?ー年収400万円サラリーマンも老後は下流化する!? ~深刻なのは、下流老人の問題は現役で働く世代も将来陥る問題であるということだ。
→アパレルの女性店員が貧困化するワケ「食費を削って服を買い、薬を飲んで耐えています」
→先進国で最悪レベル「子供の貧困」 なぜ豊かな日本で解決できないのか
→安倍政権はこれでも派遣法を改悪するのか? 派遣労働で貧困にあえぐ“普通の女性たち”
→「ニッポンの貧困」について知っていますか?--6人に1人が"相対的貧困"
→なぜ「相対的貧困」は恐ろしいのか!?--"負け組"も"勝ち組"も「しんどい」
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