橋下市長の人気投票?
大阪の狂想曲(気分的には「狂騒曲」)「大阪都構想」の演奏会が終わり、最近、少し落ち着いてきた。私は、知らなかったが、住民投票前に一般の大阪市民同士が大阪都構想をめぐって日常、対立する場面があったと伝える記事や報道を目にした。
しかし、岡目八目ということばがあるが、大阪以外の人間から見れば、住民投票は、大阪都構想という政策の選択投票というより、橋下市長の人気投票にすぎなかったのではないだろうか。今回の住民投票を見て、橋下氏ならひょっとして何とかしてくれるかもしれないという根拠のない漠然とした思いを抱いている市民が結構、多くいるように感じた。橋下氏が街頭演説をする姿がテレビに映し出され、橋下ファンと見られる中年の婦人が今にも抱きつかんばかりの勢いで駆け寄り、握手を求める姿は、端から見れば滑稽ですらある。
→【大阪都投票】あと1週間、「橋下嫌い」は反対「橋下好き」は賛成で本当にいいの? ~「都構想というよりも、行動力のある橋下さんが好きで、通りがかりに演説を聞きに来た」と話す。
阪神を熱狂的に愛する大阪特有の風土が今回の異様な住民投票をめぐる対立を生んだのではないだろうか。もし、これが、関東の都市で行われた住民投票であれば、異なった風景になったように思う。関東の人間は、巨人ファンが多いかもしれないが、決して熱狂的ではないように思う。スポーツのような勝負事では、勝ち負けは、避けて通れない。だから勝ち負けのために策をめぐらし、技を競い合う姿を見ることは、多くの観客の楽しみでもある。そして、勝者を称え、敗者の健闘に拍手を送る。
しかし、大阪都構想の住民投票は、勝負事ではない。どうしたら大阪を活性することができるかという選択肢の一つにすぎないように思う。まして、提案者である橋下氏のファン投票であるはずもない。しかし、住民投票後のマスコミの記事やネットの情報は、希有な?政治家の喪失に関するものばかりのように思う。住民投票に負けても市長に留まり、大阪都構想以外の方法で大阪を再生する努力を続けるという選択もあったように思う。
→引退表明、早くも市民に“橋ロス”? 事務所や市役所、党本部に電話、メール
→住民投票で政治のタレント化を乗り越えた大阪市民「好き嫌い」から「政策」を見極める政治へ
「バッカじゃないの」
住民投票に破れ、潔く政界を引退とか、「橋ロス」とか、あるいは、大阪市民が最悪の選択をしたといった類いの記事を読んで、最近、話題になっているテレビドラマの「ドS刑事」黒井マヤ巡査部長の決め台詞「バッカじゃないの」が浮かんできた。
住民投票前の反対多数の場合の政界引退声明も橋下氏の計算された戦略だったように思う。大阪都構想が否決されれば、今後、自分に続く改革者は、出てこないけど、いいのですかということを市民や党員に暗示して投票行動に追い込む作戦だったように思う。そして、その企みは成功したようだ。しかし、その発言が結局、橋下氏を政界引退に追い込むことになったのではないだろうか。決して、潔く引退するとかいったきれい事ではないように思う。
→(上)敗北の橋下氏「議員から辞表集めておけば…」と冗談も 引退会見の隣室は“修羅場”に
→「橋下的なもの」に対抗する手段とは?(上)「敗戦会見」はたいしたもんだったけど……
シルバーデモクラシー?
そして、最も醜悪な分析は、「シルバーデモクラシー」という70歳以上の高齢者の投票行動が、大阪都構想の敗北の原因だと主張する声だ。出口調査で高齢者の反対票が多かったことを批判するものだ。しかし、投票権は、すべての世代に公平に付与されているものであり、その投票を出口調査というアンケート調査のデータを基に高齢者を悪者のように批判する低レベルの発言にがっかりしてしまう。高齢者を既得権益者と見る貧弱な発想に発言者の人間性を疑ってしまう。
一方、有権者数という視点から見ると実際に投票した若者の数が少なかったことも影響していると分析する意見もある。住民投票に限らず、選挙で若者の投票が少ないというのは、昔から普遍の事実だ。大阪都構想の住民投票について高齢者の反対票をターゲットにして批判するのは、とてもおかしいと思う。
→都構想の否決を「シルバーデモクラシー」と批判する人の正体「情弱の高齢者が都構想をツブした」というデマをふりまく知識人達よ、情弱はお前らだ!
だから、小泉進次郎氏の発言にはとてもがっかりしている。「僕は30代。30代男性で見ると、6、7割が賛成。そして70代男性は、6割が反対だった…男性だけで見ると、反対票を多く入れているのは、70代だけで、60代から下の男性は、全部、賛成の方が多かった…よく、シルバー民主主義って言われることもある。高齢者の意向に左右されているような日本の構造、そのことの象徴的なものだったのかも…。これからもっと、自分なりに分析していきたい」と感想をもらしたと報道されている。
女性だけで見るとどういう感想を持ったのだろうか。こういう発言を聞くと被災地の福島での小泉氏の取組も本心は別のところにあるのだろうかという疑念が湧く。結局、政治家は、権力を握ってみてからでないと国民には、その政治家の本当の人物像を知ることができないのかもしれない。
賛成票を投じた70代の男性が40%もいたことについては、どう考えるのだろうか。視点を変えると分析は変わってくる。しかし、そもそも投票した人の一部のアンケート調査にすぎない出口調査の結果についてのコメントとしては、どうなのだろうか。「高齢者の意向に左右されているような日本の構造」という発言は、国民に人気のある小泉氏だけに、ある意味で高齢者に対する同調圧になるように思う。
→小泉進次郎氏、大阪都構想での「注目点は、世代別の動き」 シルバー世代の反対多数で「高齢者の意向に左右された」と分析
国のかたちを変える一大改革、その歴史的一歩となるはずの構想?
私が最も滑稽だと思ったのは、維新の党代表の江田憲司氏の代表辞任だ。ブログで本人が辞任の理由を述べている。はっきり言ってうそ八百のように思う。私は、みんなの党の発足以来、選挙で自民党に対抗する野党として投票してきた。しかし、みんなの党の解党後の維新との合流は、誰から見ても、橋下氏の人気とその集票力で党勢を拡大したいという野心以外の何ものでもないように思う。
江田氏のブログにはこう書かれている。『なぜ大阪の問題で国政政党の代表までが辞任するのかというご意見があります。しかし、大阪都構想は、ひとり地域政党・大阪維新の会の原点であるだけでなく、国政政党・維新の党の原点中の原点でもあるのです。そのために結党した党だと言っても過言ではありません。それは、「中央集権」を打破し、将来の「地域主権改革」「道州制の導入」につながる、この国のかたちを変える一大改革、その歴史的一歩となるはずの構想でした。だからこそ、今年2月の第一回の党大会も、私はあえて大阪で開催することを指示し、大阪都構想の「決起大会」としたのです。』
→維新の党代表を辞任・・・「大阪都構想」は国政政党の原点でもある
都構想の意義は権力を全部引きはがして新しい権力機構をつくること
しかし、大阪都構想は、単なる大阪市の解体にすぎず、その目的が、大阪市の権限を二重行政という理屈で大阪府に吸収することにあるのは明らかだからだ。つまり、大阪府へ権限を集中する中央集権化が本来の目的であり、そのことを橋下氏自身、大阪府知事・大阪市長のダブル選挙で言及している。
「大阪は日本の副首都を目指す。 そのために今、絶対にやらなければいけないのは、“大阪都”をつくることだ…今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ…(大阪都構想に反対する大阪市を抵抗勢力だとして)権力を全部引きはがして新しい権力機構をつくる。これが都構想の意義だ。」と。
→敗因は橋下疲れか、主役引退で迎える大阪カオス 弱かった市解体の理由と無理やりだった区割り案、避けられない維新の求心力低下
自民党のめざす道州制
自民党の憲法改正草案は、地方自治体の自治権の剥奪と住民の義務の強化を目的とした道州制の実現をめざしており、橋下氏は自民党の改憲政策への協力を明言している。だから、橋下氏は、住民投票で勝利し、国政で道州制を実現する構想を描いていたと思う。
→構想投票・改憲国民投票、ともに緩い規制 懸念の声も~憲法改正に積極的な橋下市長は「都構想の住民投票は、憲法改正の予行練習だ」と言及。
しかし、この道州制は、江田氏の言う「中央集権を打破し、将来の地域主権改革」につながるものではなく、地域主権を奪い、国が主導権を握る中央集権化を目指すものとなるだろう。そして、そのときは、大阪府の人口の30%にすぎない大阪市だけではなく、堺市を始めとするすべての自治体の自治権が剥奪されることになるだろう。仮に江田氏の思惑が違ったとしても江田小隊は橋下王国の属国軍に過ぎないのだから。
→地方創生のウソ~地方自治体は、少子高齢化でなく、道州制で消滅する?(私のブログ)
将来的に東京はスラム化するという指摘
そもそも東京をモデルにした副首都という考え自体、正しい選択なのだろうか。モデルとされる東京都は、今は、人口の集中が続いているが、少子高齢化の進展、地方から流入した低所得未婚者の高齢化が進み、財政難で将来的には東京のスラム化が進むことを指摘する専門家もいる。
→高齢者だらけのゴーストタウンに......オリンピック後に東京が直面する恐ろしい未来図
嫌いだから信頼できないのではなく、信頼できないから嫌いなのだ!
橋下氏の大阪都構想は、蜃気楼に過ぎないように思う。橋下氏側は「僕のことはキライでもいい。でも、大阪がひとつになるラストチャンスなんです。」と訴えていたが、私は、このキャッチフレーズに違和感を覚えた。私は橋下氏が嫌いだが、最初から嫌いだったわけではない。これまでの数々の言動から信用できないから嫌いなのであって、理由のない、生理的な嫌悪感から嫌いなのではない。
都構想に反対した多くの人もよくよく考えれば同じ思いだったのではないだろうか。もしこのキャッチフレーズを「僕のことは信頼できなくてもいい。でも、大阪がひとつになるラストチャンスなんです。」と言い換えたらどうだろうか。信頼できない人に投票しようという気になる人がどれだけいるだろうか。橋下氏は、暗に反対者が政策の中身ではなく、感情論で反対しているというイメージを市民に訴えることで同情票を勝ち取ろうとしたのかもしれない。
しかもどうしてラストチャンスなどと断言できるのだろうか。要は、自分のように改革を進める人間は、今後、二度と出てこないけど、それでもいいのですねと言いたいのだろう。一種の催眠商法だ。まるで成績優秀なセールスマンが契約に迷っている相手に判子を押させるための決め台詞として使うフレーズのようだ。「僕のことが嫌いでも、これは、お客様のための最後のチャンスですよ。僕以外にお客様にこの提案をできる人間は他にいませんよ。」
希有の政治家と発言する意図
江田氏のような橋下支持者(というより橋下氏の人気を利用したい人たち)の「希有の政治家」という橋下氏を評価する発言も有権者に対する催眠商法のように思う。橋下氏を本心から尊敬しているわけではないのに自分にとって有利か不利かを判断して動いている人が多いのではないだろうか。
こういうタイプの人はサラリーマン社会だけでなく、地域社会の中にも多いように思う。同調圧に敏感で自分の損得だけで動く人は、周囲にいっぱいいるように思う。国民は、日頃から自分で判断するための不断の努力が求められるように思う。まず、自分で情報を確認し、自分なりの考えを整えてから分からないことをいろいろな人に聞いてみるべきだと思う。 おしまい
(追記)
橋下氏の手法は、マクドナルド経営に似ている
橋下氏の手法は、効率化という名の下にコスト削減だけを追求するグロバール経営と同じように思う。しかし、コストを削減し、利潤を維持・拡大する米国型の経営は、現在、その限界が見えてきているように思う。無限にコストを削減することは不可能だし、売上を永遠に拡大することもできないのは、資源や需要に限界がある以上、当然の帰結のように思う。
そして、そのことを一番よく表しているのは、最近のマクドナルドの業績不振だと思う。異物混入等の衛生問題は、業績不振の一つの引き金ににすぎないことがだんだん明確になってきている。株主から短期的成果を求められた経営側の目先の利益を優先する行き過ぎたコスト削減が人的・物的資源を回復困難なレベルまで劣化させ、そのために商品の品質とサービスの低下が進み、客離れを引き起こしているように思う。従業員の疲弊で店舗の清掃や設備の点検が疎かになり、事業モデルの劣化が進んでいるようだ。長年かけて培ったノウハウを目先の利益追求のために破壊した経営者の責任は大きいと思う。
大阪も橋下氏の手法を続ければ、結果的にお客である住民が行政サービスの劣化に不満を持ち、魅力の薄れた大阪から離れていくことになるのではないだろうか。それは少子高齢化以上に大阪の人口減少に拍車をかけることになると思う。
聖域のないコスト削減を何のために行うのかという原点が忘れ去られているのではないだろうか。行政コストを抑え、市民の理解を得ながら持続可能な行政サービスを実現するための努力を職員と共に行うことが市長や知事の仕事ではないのだろうか。カジノができたら、大阪に住みたいと思う人が増えるのだろうか。カジノの誘致によるメリットとデメリットをきちんと試算したのだろうか。
(追記2)
「道州制こそ、国から地方が権限と財源を奪う」本当ですか?
「道州制こそ、国から地方が権限と財源を奪うのに、最大の武器となりえるのである。」と主張する記事を読んだ。しかし、自民党の改憲草案は、その真逆で、地方から国が権限と財源を奪うことを目的にしている。下記のような主張をするなら、自民党の改憲草案の内容についてきちんと説明するべきだと思う。
そして、安倍首相と取引することは、「安倍」防衛法制を飲むことを意味する。安倍首相の個人的な目標と関心は、それ以外にないからだ。憲法改正草案の地方自治(草案には、道州制ということばは使われていない。)の条項は、首相が実現したい戦争条項を実現するためのツールだから国の権限を強化することはあっても、地方の権限を拡大するような政策を受け入れることはあり得ないと思う。
安倍政権は、改憲により辺野古移設や原発の使用済み燃料の最終処分場を国が決めたいのだから下記の記事は、妄想か、あるいは安倍政権の改憲政策の片棒を担ぐものだろう。あるいは、国民のためではなく、維新の党の生き残り策の提案にすぎないのかもしれない。
(追記3)
大坂人から見た大坂都構想の景色
私は、大阪都構想の二重行政の解消というスローガンにとても違和感を持っていた。一般論として二重行政という形式論で言うなら、地方自治そのものが国から見たときは、すべて二重行政に当たるように思う。この関係は、都道府県とその管轄下にあるすべての自治体にも当てはまる。だから、大坂都構想で使われる二重行政の解消ということは、結局、中央集権化するということと同義だと思う。
行政の意思決定の効率化という側面から見れば、中央集権化する方が、為政者にとって明らかに効率的だろう。しかし、地方分権は、民主主義の基盤を支えるものだと思う。地域の実情に合った行政運営を担保するためには不可欠なしくみであり、為政者の独裁を抑制するために国民や住民にとって掛け替えのないしくみだと思う。
そして、中央集権化は、決して行政の無駄をなくすことにはつながらないように思う。国を見た場合、省庁の縦割り行政から生じるたくさんの二重行政や予算の無駄遣いが続いている。最近は、あまり話題にならなくなったが、天下りは、依然として減っておらず、従って、既得権益組織も存続し、貴重な財源がドブに捨てられている。
こうした無駄をなくすために、中央から地方に権限や財源を移管するべきだという地方分権の必要性が永らく叫ばれてきたように思う。つまり、組織を中央集権化したら二重行政が解消されるという保証はどこにもない。それどころか、国民や住民の生活より事業者を優遇する国や都道府県の誤った政策による補助金等の財政支出が増加するリスクが高まるように思う。
正直、私は、安倍政権の憲法改正に協力するという橋下市長の発言がなければ、大阪都構想に関心を持つこともなかったように思う。安倍政権の憲法改正草案は、地方自治を国民から奪う内容であり、その改憲に橋下市長が協力を表明していることに強い違和感を感じていた。
私は、大阪については、行ったことはあっても周囲の関西人やテレビの情報以上に大阪人の気質について知らないし、東京より南に住んだことのない人間には、大阪文化は馴染めないのも事実だ。基本的には、大阪のことは、大阪の人が決めればいいというのが私の考えだ。
しかし、大阪都構想が仮に賛成多数で可決されていたとしても大阪府議会の単独過半数に届いていない大阪維新の会が都構想を府議会でスムースに推進できたか疑問が残る。大阪府の吹田、八尾、寝屋川の3市長選は、いずれも大阪維新の推薦候補が敗れているので、将来、大坂都を実現しようとするときに大阪市以外の自治体の協力を取り付けることは、一層、困難だったと思われる。だから、橋下氏は、憲法改正で道州制を実現することで中央から大坂を解体して大坂都に変更するつもりだったのだろう。
最近、大阪人が書いた、大阪気質から見た大阪都構想についての以下の記事を読み、大阪には、大阪の特殊性から生まれた二重行政(府市対立?)があるという分析が興味深かった。過去に府市の役割の棲み分けが存在し、うまく機能していた時期があるなら、それは、とりもなおさず、府市の二重行政が問題なのではなく、お互いに歩み寄れない人たちの問題のように思う。しくみを変えても大坂の人々の意識が変わらなければ、何も変わらないように思う。人の気持ちは、押し付けでは変わらない。大阪市民が自ら意識を変えることしか解決できないのではないのだろうか。やはり、大坂が自分たちで相互理解を深める以外に道はないように思う。
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