ブログを書くときにいつも何かしらちょっとでも役立つ情報を入れようと考えている。と言うのは、私のつまらない考えやエピソードだけを読んでいただくのは申し訳ないという気持ちが働くからだ。しかし、今日は何の役にも立たないことを何の脈絡もなく書いてみることにした。思いつくまま気の向くままお釈迦様の手のひらの中で自由に書いてみる。
ブログをお休みしていた理由の一つ
最近、しばらくブログの更新をお休みしていた。その理由の一つはWindows10のアップグレードについて複数のノートPCを使ってバックアップ方法を検証していたためにブログを書く余裕がなかったためだ。アップグレード自体は、どのPCも大きな問題もなく作業を進めることができたが、バックアップの方法については詳細な情報が少なく、試行錯誤の連続だった。
これは、マイクロソフトのサポート姿勢に問題があるように思う。例えば、バックアップツールとして光学ディスク(CD/DVD)で作成する「システム修復ディスク」とUSBメモリで作成する「回復ドライブ」の2つが用意されているが、なぜ2つの方法が用意されているのかユーザーには説明されていない。また、それぞれのメディアに作成されたファイルの中身の説明もない。
回復ドライブには、リカバリー用のデータもコピーされるが、それがアップグレード前のOS(Windows7もしくはWindows8.1)用なのかWindows10用なのかの明示的な説明もない。だから別途作成するバックアップイメージを使わずに回復ドライブでシステムを復元した時にどちらのOSで復元されるのかよく分からない。また、そのときにライセンスの認証がどうなるのかという疑問。こうした疑問については、最近までよく分からなかった。
まっとうな人間と愚かな人たち
ところで、この文章を書きながらテレビ(NHK)をつけっぱなしにしている。栃木県や茨城県の河川の氾濫による災害速報を見ている。最近は、過去にない大災害が多くなっている。安保法案や原発の稼働より切実な災害対策に資源を集中するべきだと思う。そして、災害大国の日本で人間がコントロールできない原発に依存することはやはり現実的ではないと思う。原発稼働反対派と推進派のどっちが無責任なのかは、自明だと思う。大雨ひとつとっても自然を人間がコントロールすることはできないし、コントロールしようとすること自体、不遜なように思う。自然と共存しながら、被害を少なくする方策を考えるのがまっとうな人間のすることではないだろうか。
濁流で1階が破壊された一軒家の2階から住民が自衛隊員の介助を受けながらワイヤーでヘリコプターに釣り上げられて行く姿が映し出されている。違憲の安保法制に反対する人々に、そんなら自衛隊自身が違憲だろうから自衛隊を廃止しろと主張しろと叫ぶ愚かな人たちもいる。自衛隊の災害活動や自衛のための活動にまで反対する国民はいないはずだ。それどころか自衛隊の災害活動について国際貢献をすることを多くの国民は応援するだろう。
災害活動には、自衛隊員自身の生命の危険があるが、自己の危険を顧みずに人命救助に当たる隊員には、頭が下がるし、素直に感謝の念が生まれる。しかし、それが武器の使用も厭わない活動にまで踏み込むなら話は違うと思う。それは、勇気ではなく、愚行としか思えない。もし、自衛隊員が人を殺すようなことがあれば、国民感情は大きなダメージを受けることになるだろう。
もう一つの理由
Windows10のアップグレード以外の理由は、日本のアスリートたちの活躍をテレビで観戦するのに忙しかったからだ。とりわけ、ワールドカップバレー女子大会は、すばらしかった。体力で劣る日本が、サーブやボールを拾いまくるレシーブ、そして頭脳的なスパイクで世界の強豪と対等以上に活躍する試合は文句なく面白かった。
私は、最近、バラエティばかりのテレビにうんざりしている。低コストのアウトソーシングに依存するテレビ局の番組制作能力の劣化がこうした結果を招いたのだろう。民間の提案に依存しなければ何もできない役所と同じ構造だ。東芝のチャレンジ不正も同じように思う。ついでに言えば新国立競技場計画とエンブレム問題も結局、誰も責任を取らない高給取りの保身に走るリーダーが蔓延している所為だ。
こうした構造を助長しているのが安倍首相の利益誘導政策のように思う。最近は提灯報道ばかりの4と8チャンネルはドラマも報道もつまらないので見ていなかったが、8チャンネルでワールドカップバレー女子大会を独占中継していたので選択の余地がなかった。しかし、意味のないジャニーズのタレントの応援が目障りだった。政権に依存した既得権メディアはいずれ衰退していくことになるだろう。
なぜなら、視聴率は気にするが、視聴者のニーズを無視した提供側の論理で番組を作り続けるなら視聴者はますますテレビから離れていくだろう。南無阿弥陀仏。「表現の自由」?はあるが、視聴者には、見ない自由がある。自社の利益追求を優先して知る権利を捨てたメディアに未来はないと思う。私は、百田氏の発言を聞いてから立憲主義に反する報道を続けるメディアに対して国民には「見ない」という選択肢があることを気づかされたように思う。
日本のアスリートは日本の誇り
スポーツはやはり勝たなくてはならないが、誰かがミスをしても責めるのではなく、そのミスを全員で取り返そうとする姿がとても印象的だった。ミスをした選手も自分のミスを取り返そうと一生懸命にプレーしていることが画面から伝わってくる。
現在、日本で本当に結果を出しているのは、無論、政治家や大企業の経営者ではなく、高額な報酬を得てプレーしているプロプレーヤーでもない。真摯に鍛錬を積み、お金のためではなく、スポーツが本当に好きだから続けているアマチュア選手のように思う。だから見ている側も選手のプレーに一喜一憂してはらはらしながら応援しているのだろう。なでしこジャパンはアマチュアではないが、置かれている経済環境はアマチュア選手と変わらないようだ。しかし、サッカーが本当に好きだということがプレーから伝わってくる。私は、オリンピックの開催には懐疑的だが、真摯なアスリートの姿を見るとしょうがないなと現在、思っている。
時短を進めれば女性は自然に輝く
安倍政権は、女性が輝く社会を標榜しているが、それは、女性の管理職の比率を上げるとかいった少子化による人手不足を女性の社会進出を増やして補おうとする経済政策の流れの一部に過ぎない。管理職の比率を上げるより、時短を進めて長時間労働を前提にした企業の雇用体制を改善することが先決だと思う。
雇用の不安定な非正規労働者が減らせないのなら、適正な賃金と必要な社会保障(健康保険、年金等)を担保する政策をとるべきだろう。人手不足で飲食業や建設関係、そしてマイナンバー制度の特需で活況のIT分野で非正規従業員の賃金単価が一部高騰しているが、長い目で見たときに、非正規の職業に就く人々の老後の生活は悲惨なものになることが予想される。現在、年金をもらっている世代の中にも下流老人と呼ばれる人々が増えており、こうした問題の放置は、将来の社会不安の増大を招くことになると思う。
長時間労働から離脱して、非正規労働者のための社会保障制度が充実すれば、もともと勤勉な女性が社会で自然と輝きを増していくことになると思う。女性の持つきめ細やかな感性が社会で大いに役立つだろう。一方で、従来の男性と変わらぬ感性を持った女性管理職が増えるなら、社会は変わらないし、日本の活力は失われるだろう。
70年談話後
私は、8月14日の安倍首相の戦後70年談話後、政治に関する記事を書いていない。それは、安保法制に対する国民の関心が高まり、以前に比べればまともな情報が増えており、いい方向に向かっているように感じているからだ。もう一つは、70年談話後のメディアの世論調査が揃ってから記事を書いてみようと思っているからだ。もう少しでそのときが来そうだ。
今回の河川の氾濫による水害で被害を受けた方が早く安心して生活できる状況になることをお祈りしたい。 おしまい
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