以前のブログで「私が問題と考える事柄(1)」として「組織」の問題を書いた。テーマは、町内会と裁判所だった。いずれも啓発を受けた本の紹介という形で書いた記事だ。
今回も啓発を受けた本の紹介という形で「国の政策」の問題に挑戦してみることにした。テーマは、集団的自衛権、原発、TPP、消費税、憲法改正等を考えている。そして、こうしたテーマがらみで小泉元首相親子のことにも触れたいと思っている。
今回、私が上記のような固いテーマで書いてみたいと思ったのは、昨年の全保障関連法案の可決成立がきっかけだ。政府は、法案成立後、国民の理解を深めるための努力をすると言ったが、現在までその約束は守られていない。
幼稚な改憲オタク
安倍総理のその後の政策は、すべて改憲を成し遂げるために参院選で目標議席数を獲得するための利益誘導政策だけだったように思う。ポピュリズムという言い方もあるが、利益誘導政策という方がしっくりくるように思う。政治家になった目的が、改憲だったそうだから私にはとても理解できない。
私は、政治はどういう形であれ、国民の幸福を追求するべきものだろうと思う。痛みを伴う改革であろうとも、その目標は国民の幸福と持続的可能な社会の追求と実現でなければならないと思う。
しかし、安倍総理は、手段に過ぎない改憲自体が絶対の目標になっており、改憲の先の日本の未来が何も見えない。参院選で勝つための支持率が取れるなら何でもありのように思う。
約束はいつでも反故にできるという「新しい判断」
私には、もし、共産党が別の政策とバーターで改憲を容認するなら躊躇なく、安倍総理は共産党とも協力するように思える。この方にはモラルという概念がないようだ。いつでも「新しい判断」を下せるだろう。約束は、いつでも新しい判断で反故にできることを国民に示した最初の首相だろう。公約なんて意味がない。
👉消費増税の再延期、安倍首相が表明 「これまでのお約束とは異なる、新しい判断だ」
本来なら約束破りでしかないことを新しい判断と言い切れる人物を支持する国民が一定数いることが一番の問題なのかもしれない。舛添都知事の公私混同問題にあれだけ騒いだ国民と視聴率を優先して連日のように舛添問題を取り上げたマスコミはもっと悪質な甘利氏が不起訴処分になった問題をなぜ追及しないのだろうか。
NHKまで連日のように舛添知事の報道を続けていたが、この問題については官邸から何も圧力がなかったのだろう。他のメディアも珍しく委縮することがなく、徹底的に報道していた。メディアの中には、視聴率が取れるので舛添問題の報道を止められなかったという分析がある。
これは、一面真実だろうが、それ以上に官邸からの介入がなかったか、あるいは官邸の意向に沿っていたからではないだろうか。結局、マスコミは政府の意向を忖度して報道を続けていたのではないだろうか。安倍総理の表現を借りれば、情けないマスコミは今も続いている。
私は、甘利元大臣の報道以外にもマスコミの姿勢に最近、疑問を感じたことがある。それは、参院選の前哨戦と言われていた沖縄の県議選の報道だ。6月5日の投開票の日に開票速報を流したテレビ局がほとんどなかったことだ。
米軍属による女性殺人・強姦致死事件という痛ましい事件があり、沖縄県議選に対する関心を持っていた国民は多いはずだ。にもかかわらず、選挙速報を伝えていた地上局は一つもなく、わずかにBS-TBS 「週刊報道 LIFE」が短時間の開票速報を伝えていただけだ。
新聞も翌日、選挙の結果を開票結果だけを伝えているものが多かった。女性殺人・強姦致死事件についても積極的に報道しようとしないマスコの姿は、情けないだけで済まされない報道機関の劣化を示しているように思う。
👉沖縄の米軍女性殺害事件で本土マスコミが安倍官邸に異常な忖度! 読売は「米軍属」の事実を一切報道せず
ついでに言えば、「生活の党と山本太郎となかまたち(以下、生活の党)からは7月の参院選に出馬しない意向を表明した谷亮子参院議員(40)が、自民党の比例区から出馬する」ことになったという週刊文春の報道だ。
普通、自党の比例代表で当選した議員が、参院選で真逆の政策を掲げる与党に鞍替えすることに政党も支持者も批判すると思うのだが、あの山本太郎議員からも比例代表当選時の政党である民主党(現民主党)からも批判の声が聞こえてこない。
マスコミもどこも問題点を報じないのはどうしてなのだろうか。舛添氏の辞任で知名度で投票することへの反省の声が出ているのによく分からない。マスコミのタブーなのだろうか。国民的人気のあった人物について報道して国民の反発を買いたくないのだろうか。
政府とバカな国民は責任を取らない
しかし、一番の問題は、国民自身にあるように思う。難しいことは分からないという言い訳をする国民が多すぎるように思う。バラエティ番組におバカを売りにする女性タレントの出演が多いのも視聴率が獲れるからだろう。私は、芸のおバカについては非難するつもりがないが、本当のバカは自分の無知を晒して切り売りすることだ。
私が言うバカは、学業の成績ではない。学校の成績がよくても世の中にはバカはいっぱいいるように思う。知らないことを謙虚に自分なりに考える人は決してバカとは言わない。間違ったら、間違えた理由を自分で考えて次には間違えないようにすることが大切だと思う。
バカとは、自分で考えず、他人の言うことに無目的に従う人々だと思う。そういう意味では、日本の国民の白痴化が進行しているのかもしれない。空気を読む、同調圧に弱い人は、結局、いつも結果については責任を取らず、他人の所為にする。
もう少し言えば、最近、A+B=Cみたいに物事を短絡的に考える人が増えているように思う。難しいことより単純化された答えを優先し、なぜそういう結論を出したのかをきちんと説明できない人が多い。とりわけ、受け売りの知識で金太郎あめのような受け答えをする若者が多くなっているように感じる。
相手の身になって自分ならどうするだろうかと想像する力が弱くなっているように思う。単に自己の利害で物事の善し悪しを判断をする傾向が強いように思う。自分の身の回りのことにしか関心がない人々がいることは残念だ。
安倍総理は、好んで責任という言葉を使うが、何か深く考えているわけではないように思う。相手を攻撃するための言葉としてしか、責任という言葉に意味はないようだ。それどころか、常に自分やお友達が責任を追及されないように創意工夫しているから常軌を逸した発言や政策の遂行ができるのだろう。
年金資金の運用については、長い目で見てくださいと言っているのは、自分はその結果責任を負わないと言っているに等しい。だから、運用が失敗したら、国民の年金支給に影響があることを臆面もなく認めることができるのだろう。そして、今も株価操縦が続いているようだ。
👉「年金の損失も隠す。隠す、隠す、隠すの安倍内閣ではないか」 野党が追及
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国の借金が増え続けても自分が責任を取ることはないだろうから躊躇なく、後先考えない財政出動が可能なのだろう。いずれにせよ、安倍総理の尻拭いを次の政権と国民が肩代わりしなくてはならないのは自明のように思う。オリンピック後の2020年まで待っていたらどうなるかということに私たち国民は思いを馳せるべきだろう。
オリンピックが「後の祭り」にならないことを願っている。報道されているとおり「当初の予算は3,000億程度で、猪瀬前東京都知事が世界一カネのかからない五輪と豪語していました。しかし、気がつけば1兆8,000億円と当初の6倍の費用がかかる試算になっています。」のが現状だ。
👉舛添氏の率いる東京は6倍。オリンピックの予算はいつも想定以上
これまで日本の役人と政治家が自ら責任を取った例はないのではないだろうか。だから、役人が作る法律には、いつも逃げ道が用意されていることは、舛添知事の公私混同による流用問題で違法性なしという根拠法「政治資金規正法」が物語っている。
甘利元大臣を不起訴処分とした「あっせん利得処罰法」にも逃げ道が用意されていた。だから、国や政府を信頼するのはとても危険だ。責任ということを最も嫌う官僚と責任を取りたくない政治家の利害は一致している。
私は、「私が問題と考える事柄(2)国の政策」で取り上げようと思うテーマのために以下の本を読んでみた。
○「日本人は人を殺しに行くのか」戦場からの集団的自衛権入門(伊勢崎賢治著)
○「仮面の日米同盟」米外交機密文書が明かす真実(春名幹男著)
○「政府は必ず嘘をつく増補版」7万4000人の失業者を出すTPPの罠!後からじわじわと危険が迫るマイナンバーについて緊急レポート!(堤未果著)
○「新しい道徳」~「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか(北野武著)
次回以降、上記の本をネタ本として私が問題と考える事柄を書いてみたい。 つづく
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