日本人のマナーは本当によくなったのか?
最近は、信じられないようなことが日常化しているように思う。日本人のマナーを称賛する番組や記事がやたら目につくようになったが、それって本当だろうか。
バブルの頃には海外旅行での日本人のマナーの悪さが指摘されていたように思う。あれから本当に日本人のマナーは大きく改善されたのだろうか。私は、正直、それ程変わっていないのではないかと思う。
日本人は、親切で、謙虚な人が多いからそれが日本人の代表的な姿のように海外から誤解されているのではないだろうか。しかし、周囲を見渡せばとんでもない人々も結構いるように思う。
もし、日本を代表する人間が政治家だとしたらどうだろうか。多くの日本人は彼らを自分たちの国民性を示すモデルとすることに同意できないだろう。質の悪さは、海外の政治家とさほど変わらないように思う。
選挙のときだけ、できもしないこと、する気もないことを並べ立て、選挙が終われば選民のような高慢ちきな態度で人に接し、挙句の果ては、政治資金の流用や政務活動費の不正使用で哀れな謝罪に追い込まれる姿は情けないを通り越してあきれ果てるばかりだ。
こうした情けない人々は、私たち一般国民の中にもそれなりにいるように思う。高齢者に限らず、いい大人と思われる人々、そして若者やこどもの中にも度し難い人たちが一定数いるというのが現実のように思う。
日本が評価されているときは、どうもいい部分だけを取り上げているように思う。学校や職場で日常風景のように見られるいじめ行為や誹謗中傷は依然なくならない。役所の事なかれ主義、無責任主義(責任が自分に向かないように行動する、いわゆる保身集団主義)は一向に改まらない。
美しくないこと
例えば、スーパーで買い物をしているとカゴに入れたものを他の売り場に置き去りにする人がいる。精肉のコーナーにポツンとニンジンの袋が置かれていたりする。おそらく、買い物をしているうちに気が変わり、元の売り場に戻すのが面倒くさくなり、近くの売り場に放置したのではないだろうか。
この間、電車で若い女性が自分の荷物を座席の足元において足をその荷物を跨ぐようにして伸ばしていた。ドアの前の座席で明らかな通行妨害になっているのに平然としていた。前を通り過ぎた若者は、その邪魔な足を避けてドアの外に出て行った。わざと足を踏んづけてやったらどういう反応をしただろうか。
エレベーターで降りるときに開ボタンを押してくれている人に礼も言わずに降りていくろくでなしの人々がいる。年齢に関係ないように思う。
自分の身の回りのことにしか関心のない人々が増えているように思う。こういう人は選挙も自分の利害に関係なければ行かないのだろう。
昨日、テレビで保育園の建設をめぐる騒音問題で周辺住民が運営者を糾弾している後姿が映されていたが、その主張は横暴としか私には思えなかった。話し合いの前提になる、お互いに歩み寄るという姿勢がまったくなかった。自分の利害が最優先で理解を得ようとしている相手を土俵に追い詰めて一方的に攻撃する姿は、決して美しくない。
もう一つ、電車での話題。空いた車内で私の向かい側に座っていた若い夫婦と幼い女の子のことだ。女の子は、親に隣に座るように指示されて靴を履いたままシートに跨るような格好になり、土足のままシートに足をのせてから身体の向きを変えて座っていた。
女の子が自力で前向きのまま座れないのがわかっているのだから、どうして親は靴がシートに触れないで座れるように補助してやらないのだろうか。子どもがシートに土足で上がったのになぜ注意しないのだろうか。
女の子は座った後も少し離れて座っている年配の女性のところにピッタリくっ付くように移動し、年配の女性は困惑していた。しかし、このときも親は何も注意をしなかった。女の子はその後も我が物顔でシートの上で動き回っていた。
そして、降りるときにはまだ降りたくないと泣き叫びながら親に抱えられてホームのベンチまで連れて行かれていた。この子は大きくなったときにどういう大人に成長するのだろうか。きっと自分本位の世界観を持った大人になるのだろう。人間が成長するとは結局、時と場所に応じて我慢することを覚えることだと思うのだが…。
スポーツジムにもいろいろな人々がやって来る。多くの人の目がある洗面コーナーで年配の男性がドライヤーで股間を乾かしているのを見て私は度肝を抜かれてしまった。この人は自宅でも同じことをしているのだろうか。そして、最後に足の指の間にもドライヤーで風を送っていた。もし、私が自宅で同じようなことをしたら、妻から袋叩きにされても文句が言えないように思う。
そして、少し前だが、私が一番度肝を抜かれた事件がある。それは、銀座の雑貨専門店のトイレに入ったときのことだ。小用を足そうと男性用便器の前に立ったとき、茶色の縄のようなものが便器に置かれていた?私は、しばらくそれがなんだかわからず、不気味なので隣の便器で用を足していた。
しかし、何か臭い。そして、それがなんであるか思いあったって戦慄してしまった。そう、正体は、縄ではなく巨大な”大”だったのだ。それにしても、どうやって用を足したのだろうか。小用を足してから”大”をしたのだろうか。なぜ、トイレットペーパーが一緒にないのだろうか。拭かずにズボンを履いたのだろうか。
いつ誰が入って来るかわからない公衆トイレの小便器で大胆にも”大”をすることがどうしてできたのだろうか。昼間で売り場には、複数の客がおり、いつトイレに入って来るかわからない。その大胆さと神経の図太さに驚愕するばかりだ。
ただ、トイレには軽装で瘦身の浅黒い顔の外国人?風の男が先にいて洗面の前で身繕いをしていた。ひょっとしてこの男が犯人だったのだろうか?この件については家内にも話したが、笑い話で済まないように思う。
もし、外国人風の男が犯人だとしたら、彼の国には、小便器を使う文化がないのだろうか。トイレットペーパーを使う風習もないのだろうか。”大”は小便器の底で蛇のようにとぐろを巻いていたので私は、最初、縄だと思ってしまったのだ。その神業は、今でもどうやってやったのか謎のままだ。
私は、家内以外にこの話をしたことがない。とても他人には話せないと思ってこれまで封印してきた。この話を聞いた人は作り話と思うかもしれないし、本当だと感じたときのリアリティと後味の悪さを考えると他人にはとても話せなかった。
私自身、この話をしても悪趣味の話題としか受け取られないだろうと思っていた。しかし、時間も経ち、時効も過ぎただろうと思い、今回、打ち明けることにした。世の中には信じられないことがたくさんあるということを知ってほしい。 おしまい
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