現実的という言い逃れ
私は自民党を始めとした改憲論者にうんざりしている。改憲に賛成か反対かという問題より彼らの幼稚性にうんざりしている。自民党が作成した改憲草案の根拠は憲法がGHQによって作られたものだからとか、現行憲法のてにおはがおかしいとかいう主張まである。
GHQが作成したものだと批判しながら日米関係の重要性を主張することに矛盾を感じない精神構造の幼稚性にうんざりしている。第二次世界大戦の終結を敗戦でなく終戦と呼ぶ子供じみた合理化に疑問を感じない自己肯定性は都合の悪いことは言い換えで自己正当性を主張する幼児のようだ。
日本は明らかに戦争に負けたから日本の至る所に基地があり、米軍機が日本中を我が物顔に飛び回っている。日米地位協定を改定するべきだという主張を保守を名乗る人々の口から聞いたことがない。現実的な安全保障という言葉を使って本質に触れようとしない。
憲法が米国の主導で作成されたことは歴史上の事実だし、朝鮮戦争を契機として自衛隊が創設されたのも事実。米国が作成させた現行憲法により日本が現在まで戦争に巻き込まれなかったのも事実。そして米国が日米同盟を理由に日本を軍隊として活用したいというのも事実。
保守の人たちは日本の主権という言葉をよく使うが、日米関係においては日本の主権も主体性も存在しないことは明白な事実だと思う。それは米国が圧倒的な軍事力を持っているから米国に従うのが日本の国益に敵うということだろう。何というご都合主義だろうか。
👉「国体化」した対米従属が日本を蝕んでいる 米国は日本を愛しているという妄想
保守を名乗る人は護憲主義者を左翼と呼ぶが、彼らはその対極の右翼にすぎないと思う。自分たちを右翼と言わないで保守と呼ぶのも言い換えにすぎない。
私には右翼だとか左翼だという発想がない。単純にその主張に賛同できるかどうかだけだ。ただ、陰謀説を現実のように妄想する輩には共感できない。私には頭のおかしな連中としか映らない。
昨日の憲法記念日に改憲派と護憲派の集会が行われ、新聞も改憲についての社説を載せている。改憲の争点が憲法9条だということを保守陣営は鮮明にしている。
教育の無償化の議論は憲法改正の国民の支持率を上げるための方便にすぎなかったようだ。若者の未来のためではない。9条の改正だけで憲法改正を国民に提示すれば憲法改正の実現が難しいという判断からの懐柔策が教育の無償化の議論だったのだろう。
姑息な人々
テレビで最近、自民党の船田氏が最近まとめた自民党の9条の改正条文案についてその目的が集団的自衛権の容認にあることを認めていた。作成された条文には集団的自衛権も個別的自衛権を含む「必要な自衛の措置」が規定されている。
👉「自衛の措置」範囲で論戦、自民9条改憲案 野党は拡大懸念~自民党の船田元・憲法改正推進本部長代行は「自衛隊を等身大の姿で憲法に書き加える」と強調し、自衛権の範囲は変わらないと訴えた。
自衛隊の合憲性を明記するためという主張の詭弁性が露見している。強行採決した安保法制との整合性をとるために憲法を改正したいというのが本音だろう。憲法を改正する前に違憲な法律を強行採決しておいて後から辻褄を合わせようとする政権の体質が出ている。
テレビでは船田氏は自分たちの目の黒いうちは限定的な集団自衛権以上にはならないと発言していたが、解釈次第では無制限の集団的自衛権の行使も可能なことを認めている。それなら、なぜ後で論争が起こらないように集団的自衛権を明記しないのだろうか。
要は憲法改正が国民投票で否決されないための対策として今回の9条改正案が作られているということだろう。さんざん憲法改正を正面から堂々と議論するべきだと言いながら、結局、自民党が論理のすり替えのためによく使う“現実的な”対応なのだろう。
仮にこの条文で憲法が改正されれば、自衛隊自身の合憲性が明記されたとしても集団的自衛権の行使については合憲か違憲かという解釈の問題が発生する。しかし、改正案の9条の2の2項には「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」とあるので国会の議決だけで自衛権の範囲が決められることになる。なんとも姑息な改憲案としか言いようがない。これが安倍政権の本質だと思う。
「首相は9条改正案が国民投票で否決されても、自衛隊の合憲性は変わらないと主張している」から自衛隊が合憲か違憲かを問うというフレーズは国民に対する改憲を誘導するための便法に過ぎない。はっきり言っていつもの嘘だ。首相は国民と違って嘘に対して拒絶反応を起こさない免疫力があるのだろう。
👉古賀茂明「憲法9条改正で頭がいっぱいの安倍総理が財政健全化を先送りする理由」
「この道」は今しかない
改憲派という名の頭のおかしな右翼の人々が改憲にしゃにむになっているのは改憲(9条の改正)という「この道」のチャンスが今しかないと思っているからだろう。野党が弱体化して結果的に安倍政権一強になっている今が改憲の最後の機会だと考えているからだろう。国民の多くが憲法9条の改正にアレルギーを持っていることを一番肌に感じているのは彼らだろう。
若者は憲法改正に賛成しているというが、反対していないというのが真実のように思う。言いにくいことだが、今の若者は物事を多面的に深く考えないように思う。失われた20年は経験しているが、モノ不足で苦労した経験もなく、便利な世界の中で育ち、バーチャルな世界に慣れて現実に対する感性が薄いように思う。それはスマホの普及と関連していると思う。情報の氾濫の中で物事の是非が分からなくなっているように思う。
うそをついてはいけないというシンプルな原則すら大きな問題ではないと考えているふしがある。若者の中には世界情勢が大きく変わっているからという理由を挙げて憲法改正に賛成すると発言する人がいる。しかし、具体的な世界情勢が何を差しているのか不明だし、正直、的確に世界情勢を予測できる人間などいないように思う。人の意見の受け売りや根拠のない思い込みの可能性が高い。
9条の改正は米国の銃規制の問題と似ている。米国は憲法を改正して銃の所持を容認したが、不幸な銃の発砲事件はいつまで経ってもなくならない。銃の規制問題は国民の分断を生んで絶え間ない論争が続いている。
だから仮に憲法9条が改正されても自衛隊の憲法問題はなくならない。9条が改正されて集団的自衛権の行使のために自衛隊が海外に派遣されて死者が出れば自衛隊に対する議論が必ず再燃することになるだろう。集団的自衛権を明記するかどうかは関係ない。そして、攻守所を変えて新たな憲法改正論議が起きることになるだろう。しかも、政権は憲法を盾に取り改憲論議を封じる可能性すらある。
世論調査で改憲について賛成している人やどちらとも言えないと答えている人も自分の子どもや愛する人が海外派兵で命を落としたときに集団的自衛権に反対する可能性が高い。自分の周囲で死者が出なければ集団的自衛権の行使を自分の問題として国民が受け止めることは難しい。後悔したときには手遅れだろう。米国の銃規制問題が後戻りできないように。
それだけではない。命を落とすのは日本人だけではない。武力行使は現地で必ず民間人を巻き込む。近代戦は兵士より紛争国の民間人の死者の方が多いのが現実だ。理不尽にも自分の身内の命を失った人々のこころに日本に対する憎しみを植え付けることになるだろう。日本がテロの標的になるリスクが高まることが予想される。そのとき狭い国土にたくさんの原発を抱える日本を自衛隊が守ることができるだろうか。米国すら日本を守ることができるとは思えない。
北朝鮮も武力が抑止力にならないことに気づいたから韓国や米国との関係改善に動き出したのではないのだろうか。体制の維持だけが条件なのだろう。中露との関係改善はそのための保険のように思う。北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んでも体制維持にはつながらない。それどころか、そうした行為が米国がNATO軍を使って北朝鮮を攻撃する材料を与えることになる。
いずれにせよ、日本には北朝鮮や中国を攻撃する選択肢など持っていないから日本が先制攻撃をするための兵器や兵力など税金の無駄遣いにすぎない。飛来するミサイルをまともに迎撃することすらできないだろう。脅威を煽りながらその脅威に対してまともな対応力を持たないのが日本だという自覚を国民は持つべきだと思う。できもしないことをできると考えるよりできないことを認識する方が現実的だと思うのだが。
👉対北朝鮮「ミサイル防衛」も「敵基地攻撃」も驚くほど非現実的である 結局、日本がやるべきことは?
積極的な改憲論議を求める自称保守の人々は決して自由な議論を望んでいるわけではない。改憲を実現するための議論をするべきだと言っているだけだ。
5月3日の読売と産経の記事は安倍政権が潰れたら改憲ができなくなると言わんばかりだ。産経に至っては右翼新聞さながらでメディアとしての品位すらかなぐり捨ててここまで書くのかというレベルだ。社名を安倍晋三新聞に変更したらどうだろうか。
●憲法記念日 自衛隊違憲論の払拭を図れ~自民党案をたたき台に…だが、安倍内閣の失速で、改憲の機運は盛り上がりを欠く。野党は安倍内閣との対決姿勢を強め、衆参両院の憲法審査会の開催に応じていない。政局に絡め、議論を拒むのは疑問だ。…野党は審査会で、自民党の改憲案について見解を明らかにするのが筋だ。一致点を探り、問題点があれば改善する。そうした建設的な議論が求められる。…読売新聞の世論調査では、自衛隊が「合憲」だと考える人は76%に上り、「違憲」ととらえる人は19%にとどまった。多くの憲法学者は自衛隊は「違憲」との立場を取る。中学校の教科書の大半が、違憲論に触れている現状は改める必要がある。自衛隊に正統性を付与し、違憲論を払拭ふっしょくする意義は大きい(2018年5月3日 読売新聞)
次の記事は「改憲に強く反対しているのが、60歳以上、特に70歳以上の団塊の世代であることが示されてくる。憲法問題に強い関心を抱き、立憲民主党に投票した階層にも重なる。」と断定しているが、自民党や日本会議の改憲支持者の年齢層とも重なっているのではないだろうか。「そこで私のような者にとっては、改憲を通じて、解釈を確定させることが、最も合理的な判断になる。」という主張は改憲の議論すら省略したということだろう。こんな人が学者と言えるのだろうか。
♦中曽根元首相が100歳「改憲実現へ世論喚起を」~中曽根康弘元首相が27日、100歳の誕生日を迎えた。この日に合わせて発表したコメントで持論の憲法改正について「与野党を問わず、国民世論の喚起とともに真に国民参加となる憲法の実現を目指し、真剣に取り組んでいくことを期待する」と訴えた。(2018年5月27日 東京新聞)
こうした記事を読むと新聞をますます読む気がなくなる。読売新聞は国民の知る権利を守るために新聞に軽減税率を適用する必要性があると主張しているが、真逆の報道が続いている。憲法改正の機運を盛り上げたいために「モリ・カケ問題」が政局にならないように懸命になっている姿は憐みさえ感じる。 おしまい