先月中旬に用事があり、御茶ノ水に出かけた。2時ごろには用事が済み、久々に御茶ノ水を散策した。JRの駅から駿河台に下って行く途中でディスクユニオンの看板が目に入り、ぶらりと立ち寄ってみた。
ビルの階段を上がり、2階の扉を開けると予想外に広いので驚いた。ディスクユニオンの看板は渋谷でも見かけたことがあったが、店舗の中に入ったのは今回が初めてだ。
入ったお店はジャズの楽曲を集めたお店だった。レコードやCDだけでなく、レコードプレーヤや音楽関係の本やグッズも売っていた。
ディスクユニオンを今回覗いたのは理由があった。昨年、納戸を整理していたら、すべて処分したと思っていた30年以上も前に購入したレコードが出てきて聴いてみたくなり、ネットで1万円台のレコードプレーヤを購入して音を出してみたら何の問題もなく再生することができた。音も満足できるレベルでレコードを再評価したからだ。
今まではハイレゾが一番だと思っていたが、レコードやカセットテープで聴く音楽も捨てたものではないと思っている。20年以上経っているが、スピーカーやテープデッキ、アンプは当時としては性能のいいものを購入していた。無論、マニアの人が買うような高額なものではないが、今でも修理して使う価値がある程度の機器だ。
しかし、経年劣化による故障でテープデッキは2回修理しているし、アンプも1回修理している。テープデッキは今度、故障したら粗大ごみとして処理するしかない。スピーカーは大きな筐体なので低音がいい。専門家に聞いたら古くても筐体が大きければ低音はいいかもしれないが、当時のスピーカーより今のスピーカーの方が格段に音域が広いということだった。
しかし、最終的には好みの問題だとも言っていた。私の音楽履歴はレコード→カセットテープ→CD→iPod→PCにインストールしたfoobar2000で聴くハイレゾ音源と変遷してきている。そして、最近はカセットテープやレコードの音源もいいなと思っている。
しかし、カセットテープはレコードに比べ、媒体の劣化が早く、テープデッキの直接の故障原因はテープが絡まってデッキから取り出せなくなったことだった。しかも、今はテープデッキを作っているメーカーがほとんどないため、機器を修理するための部品を調達することがとても難しくなっている。
だから今後、カセットテープが音楽媒体として生き残って行くことは難しいように思う。さらにカセットテープの音の良し悪しは機器の性能に大きく左右され、ラジカセで聴くのとテープデッキで聴くのでは音に雲泥の差があるように思う。
その点、レコードは廉価なプレーヤーでもアンプやスピーカーの性能が良ければそれなりの音を再生できるのではないだろうか。レコード盤の保存状態がよければ長く楽しめるように思う。私が納戸で発見したレコードは時間の経過を感じさせなかった。「レコード、半端ない」ということだろうか。
いずれにせよ、カセットテープやレコードの音は聴いていて飽きが来ないように思う。だから、欲しいレコードが入手できるならまた買ってみようかという気になっている。
アンプは修理すればこの先も使えそうだし、スピーカーは構造がシンプルで壊れにくいようだ。ただし、スピーカーの故障の場合、ネットワークという電子回路の修理が難しいようだ。JBLのような売れ筋の商品でないと交換部品の入手も困難で修理をしてくれる工房もあまりないのが現状だ。
こうした背景があってディスクユニオンに立ち寄った。後日、JRの聖橋口の改札を出た目の前に都内最大の売場面積を誇る「お茶の水駅前店」があることにたまたま気づき、寄ってみた。ネットで調べてディスクユニオンの発祥の地が御茶ノ水であることも知った。
ディスクユニオンが今回の散策の目的ではなく、久々にビアホールの「ランチョン」に行く途中でディスクユニオンに寄っただけだ。
ランチョンは火災で旧店舗が消失する前の学生時代から行き始めたお店だ。旧店舗は扉を開けるとフロアの中央にサーバーが設置されていた。店内は薄暗く、独特の雰囲気があった。
現在はサラリーマンご用達のビアホールという感じだろうか。夕方からはホールが客で溢れ、騒然とした雰囲気で会話が聞きづらい程だ。今回は、3時過ぎに訪れたので客は4テーブルだけだった。
飲み物はビールの他に「ランチョンワイン(赤)」のハーフボトルを注文した。料理はいつも注文する「自慢メンチカツ」と「ニシンのマリネ」、それに「ガーリックトースト」にした。
このお店のいいところはビールも料理も変わらない味を提供してくれることと制服を着たウェーターとウェートレスが変わらない接客をしてくれることだ。チェーン店にはないよさと雰囲気が店にはある。美味しいビールが飲める洋食屋さんという表現では収まらないほっとした空気が流れている。
私は合理化された廉価が売りのお店や高級感が売りのお店に少し飽き始めている。やはりたくさんの人が忙しく立ち働いているお店は活気があっていい。形式的なおもてなしには何の魅力も感じない。店員さんが生き生き働いているお店がいい。それは飲食店でもスーパーでも同じだと思う。ノルマと過重労働に疲弊した従業員のお店には行きたくない。
利益を上げて拡大するということを目的とした商売はこれからの少子高齢化社会には合わない。ほどほどの利益を確保しながら持続可能な経営をすることが人口が縮小する社会に求められているように思う。拡大競争の先にはコモディティ化による祭りの後の虚しさしか残らないように思う。そして誰もいなくなったというのがオチのように思う。
おしまい