溺れる者は藁をもつかむ
総武線に乗っていたときのこと。私は吊革につかまり車窓からぼんやりと外を眺めていた。それは突然に起きた。電車がガクッと揺れたときにあろうことか私の脇腹を手摺代わりに掴んだ輩がいる。
振り向くと家内が私の脇腹を掴んだまま笑っていた。最近は減量と筋トレでメタボを脱した私の薄くなった貴重なお腹の皮下脂肪を掴んで揺れから逃れたのだ。家内は揺れたときに捕まるものがなく、とっさに私の脇腹を手摺代わりにしたのだ。
相手が十代の小娘なら可愛いで済んだことだろうが、ばあさんに脇腹をつかまれてもあまりいい気持ちはしない。腕を掴むという方法もあっただろう。どうして脇腹を掴むというような蛮行に及んだのか理解できない。
ご飯論法
家内は最近、ご飯論法まで使う。会社の元同僚たちとの昼食会から帰って来たときに少しへらへらしていたので「酒でも飲んだのか?」と聞いたら「酒なんか飲んでないよ!」と返したその口で「乾杯でビールを一杯飲んだだけよ!」と宣う。ああぁだ!
確かに酒を飲んだのかと聞いたが、それは日本酒を飲んだのかという質問ではない。日本酒、ビール、梅酒、ワイン、焼酎のいずれかを飲んだのかと列挙して質問するバカはいない。
👉ネットで拡散の「ご飯論法」とは? 論点ずらす答弁に専門家が警鐘
親しき中にも礼儀あり
最近は家内と会話がかみ合わないことがよくある。車の中で話をしているといきなり「いい夫婦だ」と言う。進行中の会話とまったくつながらないセンテンスだ。家内は我々の前を走っている車のナンバープレートの番号のことを言ったのだ。
いい夫婦とは「1122」という番号を指している。最近は車の登録番号が選択できるようになり、街中を車で走っていると面白い数字の登録番号に出会う。それで私と家内は前を走っている車の登録番号を言葉に読み替えるのが習慣になっている。
今回も前の車の登録番号の読み替えを家内は行ったのだ。しかし、会話の前後の脈絡と何の関係もないため、反射神経の落ちている私がついていけなかったということだ。
家内は私と話しているときには主語を省いたり、状況を無視しても許されると考えているようだ。
今回は笑い話代わりに愚痴を書いてみた。空気を読みすぎるのも疲れるが、空気をまったく読まない宇宙人と交信するのも大変だ。やれやれ… おしまい