最近の日本の若者は理不尽なことに声を上げないなと感じていた。日本人はもともと同調圧に弱いが、それでも理不尽なことに対して声を上げる人が一定数いたように思う。自由に対する抑圧を拒否することより目先のことを優先する若者が増えたのではないだろうか。
最近はいじめや就職への影響を考えて理不尽なことに声を上げず、傍観する若者が多いと思う。いじめがなくならないのは大人の事なかれ主義だけが原因ではない。子どもや若者も声を上げることで自分が標的になるのを恐れているのだろう。日本には幼い時からやり過ごすことをよしとする文化がある。
企業や官庁の不祥事がなくならないのも長年に亘って染みついた保身が原因なのだろう。そして、最近は本音主義者が跋扈し、黒を白と言いくるめるような主張をネットで展開し、反対意見を言おうものなら無責任な同調者にバッシングされるのがおちだ。
若い頃は、勇ましく斜に構えて発言をする人をリスペクトの対象としがちだ。自分勝手な行動を勇気と勘違いしている。私も20代の頃はそうだったように思う。
しかし、後から振り返るとそういう人たちは自分の利益のために行動していたことに気づかされる。創り出すという作業は時間と労力がかかるが、破壊するのは一瞬でできる。
本音主義者は破壊してもその後の修復という作業ができない人たちだ。破壊を先導しておいて結果についての責任のことは考えていない。彼らは結果を自己責任で切り捨てることができるから失敗を恐れない。だから私が責任を持ちますとは腐っても言わない。
結果に対して責任を追及されれば、私は強要したわけでなく、皆さんの選択で生じた結果でそれが民主主義ではないでしょうかとでも言い逃れるのだろう。これはそのとおりだと私も思う。しかし、だからこそ本音主義者の言うことを真に受けて行動したり、選挙だったらそうした人たちに安易に投票しないことが大切だと思う。
刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする香港の「逃亡犯条例」改正案の即時撤回などを求めて、香港の若者が抗議する姿を見て私はほっとしている。自分たちの自由を若者が自分たちで守ろうと行動している。中国の理不尽に対する怒りより香港の若者の勇気に気持ちが動いた。
〇香港、若者ら数千人が警察を包囲「暴徒じゃない」と声上げる(2019/6/21 東京新聞)
〇香港政府、廃案受け入れを表明~香港政府は21日、「逃亡犯条例の改正作業は完全に停止した」とし、改正案が廃案となる事実を受け入れると表明した。(2019/6/21 共同通信)
〇逃亡犯条例「改正案は死んだ」=林鄭長官、辞任は否定-香港~香港で身柄を拘束した容疑者の中国本土への移送を可能にする逃亡犯条例改正について、政府トップの林鄭月娥行政長官は9日、記者団に「改正案は既に死んでおり、完全な失敗だった」と語り、審議再開の見通しがないことを改めて強調した。…林鄭長官は改正案の「撤回」や「廃案」という表現は避けたが、「(審議が再開しないことを反対派の市民が)より強く確認したがっていることは知っている。不安に思う必要はない」と述べた。(2019/7/9 時事通信)