2021/04/20 更新
労働者の未来
地方創生で地方に雇用を生み出すとか言っていたはずだったが、結局、若者が仕事を求めて東京に集まって来るという状況は何も変わっていない。それは地方に若者を吸引する働き場所がないことの証明でもある。
インターネットの普及で必ずしも東京に出て来なくても仕事ができる環境が整いつつあるが、インターネットでできる仕事はコンピューターでできる仕事だから、いずれAIに置き換えられる仕事だとも言える。
インターネットと情報機器を利用する上でプラットフォームを独占しているGAFA(グーグル、アップル、フェースブック、アマゾン)に依存せざるを得ない。彼らは新しい産業と成長分野の創造に大きく貢献している。
しかし、GAFAが提供するプラットフォームをベースにして生まれた仕事は労働という観点からすると疑問が残る。情報技術やAIを活用することで物理的な生産性は上がるかもしれないが、提供される労働の質と量はどうだろうか。
AIを使ったシステムを開発できるレベルの労働者は一部の優秀な人材だけだろうから、そこで生まれる雇用は限定的だ。一方、AIの活用で熟練技術を持った労働者の需要が減ることが予想される。それでもニッチな分野では人間にしかできない熟練技術者がいなくなるような日は来ないと私は思っている。
だが、AIに置き換え可能な技術は人がいらなくなるだろう。一般の労働者に残された仕事は機械で代替できない退屈な頭を使わない仕事だけになるかもしれない。医者や弁護士は診断AIが示した診断結果に基づき最終的なアドバイスをする仕事やAIが提案した処置や手術をこなすことが中心になるかもしれない。
こうした受動的な仕事は労働者を退化させることになる。自分で考える能力、判断する能力は要求されなくなるかもしれない。それはAIが完璧だからではなく、経済的な理由から普及する可能性があるということだ。しかし、結果責任は人間にしかとれないからアドバイスのミスや処置や手術のミスに対しては人間が責任を追及されることになるだろう。ブラックボックスのAIのミスであることを証明しない限り。AIのミスを証明できたとしてもその責任を誰がとることになるのかはまだわからない。
AI診断がコンプライアンスとなり、労働者はその誤りを証明できなければ、コンプライアンス違反になるかもしれない。今ではあらゆる組織が守れもしないコンプライアンス順守でがんじがらめになり、説明責任を求められても弁護士に頼らないと判断すらできない経営者ばかりだ。しかし、今のAIはブラックボックスだから誰が説明責任を果たすのだろうか。
政治家や経済評論家は成長分野に労働力をシフトさせて経済成長を図るべきだと主張しているが、雇用の質や量について言及しているのを聞いたことがない。
AIを活用して生産性を上げるべきだと言うが、その先にあるのはコスト管理だけを追究する、例えばAIで作成した分刻みの介護スケジュールを介護労働者に要求するような非人間的な、労働者を搾取する世界がまっている可能性がある。資本主義は悪意で成り立っているのだから。労働者は怠けようとする、労働者はコストと利益に対する関心が低い、労働者は適切な指示を与えないと効率的に動かない等々。こうしたデータからAIはどういう答えを導き出すのだろうか。
ゼロ時間契約
最近読んだ「アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した~潜入・最低賃金労働の現場」という潜入ルポはそうした未来(日本)が現実(イギリス)になりつつあることを示している。そして、グローバル化をエンジンにして既存の雇用ステムを壊したい大企業(経団連)と政治家がいる。
この本はイギリスのジャーナリスト自身がアマゾンや訪問介護を提供する企業に自ら労働者として潜入して書かれた本だ。
👉アマゾンの倉庫勤務vs.ウーバーの運転手。最低賃金の仕事はどっちが過酷か
私はこの本を読むまで「ゼロ時間契約」という雇用契約が世の中に存在することすら知らなかった。企業にとっては都合のいい究極の雇用形態なのかもしれない。
英国ブリストル大学社会学・政治学・国際学科講師の山下順子氏が書いた「ゼロ時間契約の増加はなぜ問題か」という記事はゼロ時間契約の問題点を次のように指摘している。
「ゼロ時間契約(Zero Hour Contract)の増加が、イギリスで問題となっている。ゼロ時間契約とは、週あたりの労働時間が明記されない形で結ばれる雇用契約である。この10年間で低賃金の職種で急速に増え、現在は専門職にも広がっている。ゼロ時間契約はイギリス労働市場における不安定労働と低賃金労働の拡大を加速させ、より多くの人の生活状況を厳しくしている。ゼロ時間契約に従事する労働者は雇用主が必要とする時間のみ就労し、報酬は就労時間に対してのみ支払われる。契約上、雇用主には仕事を提供する義務がなく、その一方で労働者も仕事を引き受けるか否かを任意に決めることができるなど、雇用主と労働者双方にとって『必要に応じた』柔軟な勤務形態を可能にする契約ともいえる。特に、育児や介護などを主に行っているため、フルタイムで働くことが難しい人や、学生や定年退職した人にも必要に応じた働き方を可能にするといわれている。しかし現実には、労働者は常に待機状態‘on call’(必要とされたときに、すぐに対応できるように待機している状態)であることを求められ、また待機時間は無報酬となる。さらに休暇手当などの正規雇用者がもつ権利がなく、直前に仕事がキャンセルされたりまたは変更されるなど不安定な雇用形態となっている。」
(参考)「介護と育児が同時期に発生する状態のことを『ダブルケア』という。2012年に横浜国立大学・准教授の相馬直子さん、英国ブリストル大学・上級講師の山下順子さんによる研究から生まれた造語だ。」
ちなみに「アマゾンの倉庫で…」を読んでいると小説でも読んでいるような気分になる。この本が描く現実がフィクションのように感じられる。それは著者の表現に比喩が多用されているためだろうか。
著者が潜入した訪問介護のサービス事業者ケアウォッチの労働契約書には「仕事を提供できない期間が発生した場合においても、ケアウォッチは貴方に仕事及び賃金を与える義務を負わない」、「(従業員が)柔軟な勤務時間で働くという合意にもとづく」、「弊社のための業務遂行に悪影響があると判断した場合、ケアウォッチは業務の提供を中止することができる」、「この雇用に適用される団体協約はない。ケアウォッチはサービスの提供を円滑に行うため、労働組合の活動をいっさい認めない」と書かれている。
雇用主の都合で必要な時だけ働かせ、必要がなくなったり、不都合が生じればいつでも首を切れる一方的な内容になっている。これを契約と呼べるのだろうか。
労働者は部品にすぎないようだ。まるでトヨタのかんばん方式のようだ。かんばん方式では必要なときに必要な部品を調達し、より条件のいい企業に調達先を切換えることができる。労働者の人件費はもはや固定費ではなく、雇用主が自由に調整できる変動費にすぎない。
先程の山下順子氏の論文では訪問介護サービスでゼロ時間契約が増えた原因が自治体のコスト削減の影響があることを指摘しており、介護報酬の削減を進めている日本にとって他人ごとではないと思う。
「ゼロ時間契約が広がる介護や医療サービスのなかでも、特にゼロ時間契約は訪問介護ヘルパーを対象に広がっている。その原因は、福祉経費削減のため、多くの市町村で在宅介護サービスをそれまでのサービス供給団体への一括契約(block contracts:一定期間におけるサービス供給量を予測し、その経費を支払う契約)から、介護 サービ ス の 供 給 に 応 じ た 契 約 ( frameworkagreement:サービス供給団体と契約を結ぶが、実際の供給サービス量に対してのみ支払う契約)に変更したためである。サービス提供団体は、経営上のリスクを回避するためゼロ時間契約を増やし、週ごとに変化する在宅サービスの需要に応える。」
最近、最低賃金を上げれば、労働生産性があがると主張している評論家がいるが、彼は介護職という生産性の低い分野の労働者が増えていることに対して成長分野に人材を振り向けるべきだという考えをテレビで語っていた。生産性の低い中小企業が最低賃金の引き上げで倒産する可能性については、日本には小さな企業が多すぎるから減らす必要があると主張している。一方で経済評論家の中原圭介氏はその主張に否定的だ。
私もゼロ時間契約というイギリスの雇用契約を考えると最低賃金を上げるだけでは問題は解決できないように思う。単価が上がっても労働時間が保証されないなら労働者の収入が増えないと思うからだ。非正規労働者の最低賃金の改善と労働時間の保証、さらに社会保険料の雇用主負担が制度化されなければ低賃金労働者の生活は改善されない。
多くの労働者の収入が増えることで消費が拡大し、経済も拡大する。消費税を上げるよりも低賃金の労働者の収入を上げることで企業は売上を増やすことができる。トリクルダウンではなくボトムアップが有効だと思う。
👉【イギリス】マクドナルド、「ゼロ時間契約」社員制度の廃止を表明。固定時間契約に転換へ
英国病と新英国病
規制緩和と民営化が単なるコストカットが目的になり、負の影響が出ているのはイギリスも日本も同じだ。
「アマゾンの倉庫で…」には「2014年の時点でイギリスの地方自治体の約75%が15分の訪問を黙認しており…2010年から2013年に行われた訪問介護のうち、59万3000件は5分以下で終わった。…ところが、この“分刻みの訪問介護”はふたつの政策が招いた当然の結果だった。まず、社会福祉介護事業の民営化。そして、2010~15年の連立政権が威勢よく行った地方自治体への大幅な予算カットだ。」と記述されている。
イギリスの「英国病」の克服はサッチャー政権が打ち出した国有企業の民営化や規制緩和の政策によるものではなく、ウィキペディアには「近年の研究では英国病は幻影であったという説が有力となっている。」と紹介されている。
日本でも小泉進次郎が改革と規制緩和で日本を変えると主張しているが、日本を現在のイギリスのように変質させることになる可能性がある。
EU離脱の選択という国民投票の結果を招いたのは移民政策とグローバル化の失敗によるものなのではないだろうか。二つの政策でイギリスの文化が変質しつつあることと経済格差の拡大に対して国民の不安と不満が噴出したのではないだろうか。
最近読み終えた、やはりイギリスのジャーナリストが著した「西洋の自死」には移民には二種類の区分あると書いてあった。一つがイミグラント(個人としての移民)、もう一つはイミグレーション(集団としての移民)だという。
国民は、前者は寛大に受け入れてきたが、後者については不安に思ってきたそうだ。大量の移民(もしくは難民)の急激な増加により自分たちがマイナーになり、イギリスの文化が変質することに対する国民の脅威と不安を政治家が汲み取る能力がなかったことが現在の深刻な分断を招いた原因であることを二人の著者は提起している。
分断の原因は人種差別ではなく、急激な大量移民の増加に対する国民の不安を反映したものだと考えられる。「アマゾンの倉庫で…」の本の帯には「労働市場の規制緩和や移民政策で先を行くイギリス社会は、日本の明日(みらい)を映し出している。」と書かれており、他人ごとではないという自覚が必要だ。
日本の少子高齢化の特異性ばかりが喧伝されるが、少子化による労働人口の減少問題では欧州の方が先輩だ。日本の高齢化は数とスピードは急激かもしれないが、他の先進諸国でも同じ問題を抱えている。日本がこの分野のリーダーとなって問題解決に取り組むべきだという論調を私は素直に受け入れられない。
目先の経済を優先した移民の大量受け入れが問題の解決にならないどころか、大量の移民を受け入れる政策が国民の分断を生んでいる欧州の先例を真摯に受け止めるべきだと思う。4月から施行された移民の受け入れを拡大するための改正出入国管理法はざる法だ。
定員をはるかに超えた外国人留学生を受け入れた専門学校の留学生が大量に不明になっている問題、外国人技能実習生の搾取や失踪の問題、外国人労働者の子どもの日本語教育を実質的にボランティア組織が担っている実態を考えると原発同様、国に移民を管理する能力があるとは到底思えない。場当たり的な弥縫策であることは法律の詳細な中身を決めずに法案を強行採決したくらいだから明白だ。どうせ選挙対策だったのだろう。
👉外国人を不当にこき使う繊維・衣服産業の疲弊 技能実習生を劣悪な環境に追い込む構造要因
〇英、現代の「奴隷制」摘発 1日70円で労働強要も~【ロンドン共同】英裁判所は8日までに、東欧ポーランドのホームレスなどを英国に連れ出し労働を強要したとして現代奴隷法違反などの罪で、男女8人に最長11年の禁錮刑を言い渡した。英メディアが伝えた。被害者は400人を超すとみられ、1日50ペンス(約70円)で働かせていた例もあった。現代における奴隷強要事件として、欧州で過去最大規模の摘発とみられるという。BBC放送によると、英国内には奴隷状態にある人が1万人以上いるとされ、英国は奴隷強要や人身取引を禁じる現代奴隷法を2015年に制定した。(2019/07/09 共同通信)
新英国病とは移民問題とグローバル企業による低賃金労働者に対する搾取問題だ。日本も同じ病にかかる可能性がある。
「アマゾンの倉庫で…」の中にこう書かれている。
「理解不能な言語で話す、搾取された労働者たちの集団に支えられた不安定な仕事が増えていく。しかし同時に人々の頭のなかには、イギリス文化が資本主義に圧倒されていくという感覚があった。資本主義の強大な力は、イギリスのほぼすべての町の目抜き通りを、文化的に不毛な地へと容赦なく変えてきた。そこに並ぶのは、同じような体験を提供する退屈で特徴のないチェーン店ばかり。強大かつ不可解な資本主義の力に圧倒された社会では、なぜか移民だけが標的にされる。実際にイギリス文化が踏みにじられているのだとすれば、より大きな責めを負うべきなのは、東欧から来た果物収穫作業員ではなく、ドナルド・マクドナルドのほうだろう。」
人間の否定
「アマゾンで働きだして2週間目、私は体調を崩して1日欠勤してしまった。病気になるということは罰すべき罪なので、私には“ポイント”が与えられた。脂っこいジャンクフードばかり食べて1日まさかの10時間半労働を続ければ、もっとも健康な労働者でも病気になってしまうにちがいない。病気で休むと1日分の給料を失った。…連絡したうえで1週間病気で休むと5点が溜まり、クビの一歩手前の状態になる。似たように、もし仕事に1分遅れると1ポイントが加えられるだけでなく、15分の時間給に相当する額を失う可能性があった。」
「手首に巻かれた歩数計によれば、私は1日に平均で16キロほど歩いていた。…私の足は徐々に、チーズおろし器で擦られてガタガタになった蝋の塊のようになっていた。…インスタント食品ばかりの食生活を送り、ほとんど休むことも許されずに4日間連続で歩きつづける…」
こうした描写を読むと私たちの享受している便利さが人の不幸の上に成り立っていることに思い至る。コンビニの便利さも同じことだろう。
著者がアマゾンに潜入して担当したピッカーのおもな仕事は「細長い通路を行き来し、2メートルの高さの棚から商品を取り出し、トートと呼ばれる黄色いプラスティックの箱に入れる」仕事だ。
6万5000㎡の巨大なフロアをなぜ人間に歩き回らせるのだろうか。AI技術を駆使すれば人はいらないのではないだろうか。畑を手作業で耕す仕事の方がまだ人間としてのプライドを保てるように思う。AIのシステムに設備投資するより安い賃金で人間を働かせる方が、コストがかからないからだろうか。
👉もうすぐプライムデー、だが倉庫の従業員はストライキを計画~アマゾンは迅速な配送を実現するために、従業員の倉庫での労働状況の監視をますます強化している。特にホリデーシーズンや繁忙期はなおさら。
これは過去に従業員の抗議活動の原因となった。2018年、ブラックフライデーの際に、ヨーロッパの何千人もの従業員が同社の労働環境に抗議した。
商品をただ運ぶだけの作業とクワで畑を耕すのとどちらが“生産的な”仕事だろうか。無論、機械を使って耕す方が“生産性が高い”に決まっている。しかし、人間には“生産的な”仕事と“生産性の高い”仕事の違いを見極めて仕事を選択する能力がある。
アマゾンでは作業時間以外の時間はすべてアイドル・タイムとして管理されるそうだ。トイレに行くという生理現象さえアイドル・タイムとしてカウントされる。生産性を上げるためにはアマゾンの倉庫ではトイレも我慢するべきのようだ。
「私は一度、クリスマス用の装飾セットの箱の横に、淡黄色の液体が入ったペットボトルが置かれているのを見つけたことがあった。」
ぬか喜び
2011年にアマゾンが進出してきたときは、地元は900人分の雇用の創出に興奮し、地元紙は「新たな倉庫の仕事に応募者が殺到している」と報じたそうだ。
しかし、2015年に出されたシンクタンクの報告書では「斜陽産業の仕事は、高い技術を必要としないルーティーン化された仕事に置き換えられた。紡績工場はコールセンターに変わり、造船所は配送用倉庫に変わった。」という評価に変わっていた。
「20世紀の終わりに消えたのは“まっとうな仕事”だけではなかった。スキル習得のための価値や職場内での訓練も同じようになくなってしまった。かつては学力の高いものは地元を離れて大学へと進学することが奨励され、資格を持たない者は地元に残って仕事に就くというのが一般的だった。」
「今日、誰かが私にこう言ったよ。資本主義は借金のうえに成り立っているってね。アマゾンの倉庫のような場所で仕事をしたくないから、若者は奨学金をもらって大学に行き、卒業と同時に3万ポンドの借金を抱えるようになる。これも資本主義への燃料供給だ。分割払いで車を買うのも、資本主義への燃料供給。そうやって社会は生き残っていく。いまでは家は買えないから、多くの人が親と同居するようになった。公営住宅なんてもうないからね。それが、私たちが受け入れた現実なのだろうか?」
イギリスの現在は日本の未来
「ここ数十年の繁栄の一部は幻想でしかなく、借金の山の上に築かれたものだった。国内総生産(GDP)は過去30年のあいだ成長しつづけてきたものの、国民所得の労働分配率は1930年代の水準に下がった。」
「最近になって授業料が急激に上がったにもかかわらず、いまでも多くの人が学生という身分に憧れを抱いている。そして大学はいまだ圧倒的に、裕福な階級の出身者の特権にとどまったままだ。所得分布の下位20%に属する人々は、上位20%の人々より大学進学率が4割も低い。…もちろん今日の大学の卒業生の多くは、将来的に家を購入できるだけの収入を得る見込みも薄く、学習を終えた時点までに積み重なった借金の山を返済するのに苦労しながら生活することになる。しかし、そのような不運な物語が待ち構えているにもかかわらず、小さな町に閉じ込められてあくせく惨めな仕事をするよりも、学生の未来のほうが希望に満ちているはずだと多くの人は考える。」
「イギリスの大卒者の半数以上(58.9%)が本来は学位を必要としない仕事に就いていることがわかった。ここ数十年のあいだの英国経済は、高技能職より低技能職をより速いペースで創り出してきた。…近年のイギリスは、なるべく多くの10代を大学に送り込み、残りの若者に実習や技術訓練の大切さを喧伝するという経済政策を採ってきた。しかし、政治家はもはや、これ以上多くの仕事を創出する経済状況を作ることができなくなった。結果、借金を背負った何千もの大卒者たちが、流れ作業の現場の片隅にむっつりと坐り、段ボールにセロテープを貼ったり、電話の向こうの怒りっぽい消費者にマニュアルどおりの言葉をよみあげたりすことになった。」
「大学で勉強して学位を取って、ほんとうにコールセンターで働きたいと思いますか?」
文化的同一性と多様性
「愛国的要素が失われてしまった資本主義は、文化的同一性を真の多様性と勘違いした世界市場のほうを好むようになった。ある意味、英国文化が少しずつ浸食されていくことへの怒りの矛先が、一方的に移民へと向けられるのは奇妙なことだ。むしろ、世界中のすべての目抜き通りに単調で見かけの変わらない店を展開する企業に向けられるべきではないのか?」
「この世の中には、コールセンターより条件の悪い仕事などいくらでもある。しかし、コールセンター勤務のような他者と切り離されて個別化された仕事からは、古い産業にあった連帯感や尊厳を得ることができない。」
住宅事情とギグ・エコノミー
「現在のロンドンの住宅事情はイギリスの他の地域よりはるかに劣悪な状況に陥っていた。ここ20年のあいだにロンドンの人口は25%増えたものの、住宅の増加率は15%で…2017年には、賃貸住宅に住む人の7人にひとりが収入の半分以上を家賃に費やしていた。2016年8月時点のロンドンの平均住宅価格は48万9000ポンドで、市民の平均年収のおよそ13.5倍の額だった。その結果、恐るべき富を誇る住民の居住地のすぐそばで、多くの貧困者が狭苦しいぼろ家で生活するという状況が生まれた。そういった場所に住むことになるのは決まってウーバーのタクシー運転手やサッチャリズムが生んだ『宇宙の覇者たち』が経営するカリナ―・ワーフ(注釈、ロンドンの新金融街)のオフィスの清掃員たちだった。」
「“ギグ・エコノミー”とは、フリーランスの単発の仕事(ギグ)によって成り立つ急成長中の労働市場だった。依頼されるのは出来高払いのフレキシブルな業務で、携帯電話のアプリを通して割り当てられることが多い。…経済の多くの領域で利益率が低下するなか、企業は彼らが従業員ではないとうまく見せかけることによってコストを抑えてきたのではないか?かつて固定給と所定の労働時間という枠組みの中で行われていた仕事―労働者に最低賃金、有給休暇、雇用契約が与えられる仕事―がいまでは、そのような恩恵を受けられない『自営の請負人』と分類される人々に委ねられるケースがどんどん増えていった。この種の仕事を提供するアルゴリズムを操るのは決まってハイテク企業であり、その多くはアメリカ・カルフォルニア州のいわゆるシリコンバレーに拠点を置く会社だった。…彼らは『すべてあなた自身の利益のためなんですよ』と相手を説得するのがじつに得意だった。『あなた自身が社長なんです』とギグ・エコノミー企業のPR部門は繰り返し訴えつづけるが、誰がそれに反論などできるだろうか?」
「ウーバーで働くために必要な運転免許をTFL(ロンドン交通局)から取得する手続きは、じつに単純なものだった。…期間はおよそ3カ月。このように簡単にタクシー業に参入できるという事実そのものが、既存のタクシー運転手の多くにとっては悩みの種だった。運賃を従来より大幅に安くすることのできるアプリを使うドライバーがあふれる市場のなかで、彼らはますます熾烈な料金競争に巻き込まれた。」
「現在、ウーバーで働くドライバーの人数には上限がなく、その数はここ数年のあいだに急増した。…2012年にロンドンでウーバーのアプリを利用する『ライダー』(乗客)は5000人ほどだったが、2016年までに170万人に増えた。ドライバーの数はまだ足りないらしく、アプリを開くたびにウーバーは『友だちを紹介してください』と私に訴えてきた。」
「ウーバー独自の売りのひとつは、まわりに実際に車が見えないときでも、利用者はタクシーを呼び止めることができるという点だ。…どんなにドライバーを増やしてもウーバー側にほとんど埋没費用は生じず、税金関連の事務処理が増えるわけでもなかった。請負人であるドライバーとは出来高払いの契約を結んでいるため、仕事がなければ支払いは発生しない。最低賃金を定める法律も適用されないどころか、ドライバーたちは一連の雇用権法の権利を行使することもできなかった。なぜならば、会社によれば、彼らは被雇用者には当たらなかったからだ。」
ウーバーとドライバーの関係は、ゼロ時間契約と何ら変わらないものだ。日本で言えばコンビニの本部とチェーン店オーナーとの契約にそっくりだ。ウーバーがドライバーの競争相手となるドライバーを増やす政策は、コンビニで問題となっているドミナント戦略と変わらない。
プラットフォームを握るグローバル企業は国境を軽々と超えて莫大な利益を上げる一方で、税金の回避も巧みだ。利益を底辺の労働者や進出した国に還元しようなどという気はさらさらないようだ。
「本書を執筆中の2017年の時点において、すべてのドライバーをそれぞれ個別の会社として扱うことによって、ウーバーは予約手数料に対する付加価値税(VAT)の支払いを回避していた。また、オランダの姉妹会社を通じてアプリを運営し、同社は法人税の大部分をイギリスではなくオランダで支払っていた。」
「同社(ウーバー)はドライバーを従業員ではなく、顧客として分類する。ドライバーはウーバーの運転アプリの使用許可と引き換えに、それぞれの運賃に対して少額の手数料を会社側に支払う。このような仕組みのなかで働くウーバーの運転手は、実際に個人事業主に該当するのか?」
日本でもコンビニの本部とチェーン店のオーナーとの関係で同じような論争が起こっている。イギリスではこの問題を巡って雇用裁判所で争われ、ウーバーは一審に続き、控訴審でも敗訴している。
「『ロンドンのウーバーが、共通の“プラットフォーム”によって結ばれた3万の小さな会社の寄せ集めであるという考えは、私たちが考えるに甚だバカげている。』と裁判官は述べ、さらに畳みかけた。『ドライバーはそもそも乗客と交渉はしないし、することもできない…彼らはウーバー側の条件に厳密にしたがい、与えられた仕事を受け入れているだけである。』」
裁判官は「ただ立って待っているだけの者も役に立っている」という17世紀の詩人ハミルトンの言葉を裁判で引用している。「ウーバーのサービスの成功は、ロンドンじゅうを車で走りながら携帯電話の通知音を待つ余剰人員の一団の上に成り立っていた。しかし個々のドライバーは、街の至るところでただ車を走らせているときには事実上損をしていた。そのあいだ、ウーバーは何も失っていなかった。ウーバーはそのリスクを、どんどん数を増していく個人事業主の集団に負わせたのだ。」
ウーバーの究極の目標は「すべての場所で全員のために、水道水のような信頼性の高い輸送を実現する」ことだそうだが、そのリスクとコストを自らは負っていないのだから身勝手そのものだ。
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空想
将来、ウーバーのサービスが進化してタクシーが無人運転になったとしたら、それはそれで不気味かもしれない。
夜、スマホでタクシーを呼ぶとどこからともなく無音で電気自動車が目の前に現れる。後部ドアが開いて車に乗り込むと運転席のディスプレイに映し出された運転手が「ご乗車ありがとうございます。私はドライバーのマイクです。お客様、本日はどちらまで行かれますか?」と愛想よく尋ねてくる。
窓の外には運転手の乗っていない車だけが走っている。今では人間が自動車を運転することは安全性の面から法律で禁じられている。だから運転手という職業自体存在しない。
乗客は目的地までテレビを見ることも無料のコーヒーを飲むこともできる。しかし、今ではテレビを見る人はほとんどいない。番組はすべてAI技術で作成されており、はっきり言って全然おもしろくない。
正直なところ、AI技術で実現された人工都市は便利だが、かつて思い描いていた世界とはまったく違ったものだった。考えつくものはほとんどAIが内蔵された機械が代行してくれる。
介護すら全自動洗濯機のような機械がやってくれるので介護士の仕事は画面に映し出された入室者の様子を監視するだけだ。介護士というよりシステムのメンテナンスをするためのエンジニアと言った方が正確かもしれない。彼らが入居者と直接、接することはない。入居者との対話もすべてAIが対応している。
最近は頭を使ったり、身体を動かして仕事することがなくなり、単調な仕事でうつ病になる人が増えている。AIを駆使してもうつ病はいまだに克服できていない。
誰もがこんなはずじゃなかったと感じているが、技術の進歩にあらがう術もなく、誰も望まない現実の前に世界中の人が暗澹として立ち尽くしていた。
これは空想ではなくジョークだ。私はそもそも今のAI技術に対する評価は過大だと思っている。自動運転が今のAIの延長で実現するとはまったく思っていない。
一方で、便利さに対する追求はほどほどにすべきだと思っている。私はSNSやツイッターは信用していないので今後とも使うことはないと思う。パソコンやスマホは使っているが、スマホは家にいるときはほとんど使っていない。パソコンはあくまで趣味にすぎない。決してパソコンを信用しているわけではない。
グーグルは検索以外のサービスは分かりにくくて使いづらいと感じている。グーグルやマイクロソフトの提供するサービスはいまだ不完全でバグも多く、この分野の技術が完成する日は永遠に来ないと私は思っている。
おしまい