2022/05/31 更新
私は、AIがどんなに進歩しても英語の学習は必要だろうと思っている。しかし、学校で英語の学習を強化することには疑問を感じている。現在の学校で教える英語が役立たないというのは本当だと思うが、それは実務で役立たないという観点から来ているように思う。
中学から高校まで長期間にわたって授業で英語を習ってもほとんどの生徒は、英語で会話することができない。しかし、だからと言って大学受験に読み書きだけでなく、聞くと話すという要素を取り入れてもあまり効果が上がらないように思う。
なぜなら、普段、使うことのない言葉を学習しても利用しなければ身に付くはずがない。英語に限らず、使わない知識は定着しない。アメリカ人が幼いころから英語を話すのは、常に英語を話すことが必要だからだ。頭の良し悪しに関係なく、アメリカで生まれ育った人は流暢に英語を話すことができる。
英語を話せる人が、頭がいいわけではない。英語を話せても英語の内容を理解しているとは限らない。日本語は話せるけれど、日本語で書かれた教材の内容が理解できない日本人はいくらでもいる。まともに九九の計算ができなかったり、分数を理解できない大学生が存在していることを嘆いている教師の記事を読んだことがある。アメリカ人も同じことだろう。
普段、使いもしない英語の学習に義務教育の段階で読み書きだけでなく、聞く、話すまでの能力を求める必要があるのだろうか。すべての国民にピアノを弾くことを求めるようなものだ。こどものときに親の方針でピアノを習った人でその後、音楽の道に進んだ人がどれだけいるだろうか。ほとんどの場合、挫折するか、劣等感を植え付けられただけだろう。
ネーティブスピーカーのレベルまで求めるなら幼児期から英語教育をするべきかもしれない。アメリカでアメリカ人と対等に仕事ができる人間に育てたいというなら話は別かもしれないが、大リーガーで活躍している大谷翔平選手は、英語は通訳に任せて野球に打ち込んでいる。分野によっては、英語力は求められていない。
有名大学出身、有名大企業勤務と同じように英語ができるというステータスのために英語を学習させている親が多いのではないだろうか。
読み書き中心の英語教育が無駄だとは限らない。九九の計算と同じで英語の基礎を学ぶという意味で英語の読み書きを学ぶことは大切だと思う。たとえ文法を学んでも通用する英語を話したり、書いたりすることはできなくてもだ。所詮、日常で使わない高度の英語能力を求めることの方が資源の無駄だと思う。義務教育は本人の基礎能力を付けさせるもので、そこから先は本人の学習意欲次第だろうと思う。
例えば、本人が将来、AI技術者をめざしたいと思い、アメリカで知識と技術を学びたいと考えれば、自ら英語の文献を読み、専門用語の習得に努めるだろう。そして、AI技術者という目標のために驚異的なスピードで英語を習得する可能性がある。人間は、自らやりたいと思ったことがあれば大きく成長できる動物だ。そして、必要な知識にどん欲になることが人間はできる。
社会に出てからでも英語が日々、必要になれば、ネーティブスピーカーにはなれなくても必要な英語力を習得できるはずだ。英語の習得に必要なのは、英語を使う場所とやる気だろうと思う。英語が必要だけれど、どうしても自身の英語能力のレベルが上がらないなら、AI翻訳に頼ってみてもいい。
大谷選手が通訳を使っているようにAI翻訳をツールとして使いこなすことで仕事がこなせるならそれはそれでいいのではないだろうか。ただし、大谷選手の場合は、AI翻訳では対応できないだろう。それは、今のAI翻訳は、状況に応じた柔軟な翻訳はできないからだ。
例えば、大谷選手がインタビューに答えて「今日は、ちょっとあれって感じでしたね。」と言ったときでも優れた通訳なら大谷選手の伝えたいことを察して適切な英語にして、場合によっては観客からの好意的な反応を呼び起こすこともできるだろう。
最近のAI翻訳は、「単に情報を理解してもらうために翻訳をするのであればおそらく読み書きで英語のスキルは求められなくなるでしょう。」というレベルにまで来ている。
『DeepLというAIの評判がかなりよく、率直にいって英語の翻訳については「ほぼ完璧」と言えます。DeepLはフリー版が公開されていて、ウェブ上で簡単な翻訳に利用することができます』ということだったので早速、使用してみてその翻訳精度と自然な日本語に驚かされた。
それに比べて、Microsoftのマニュアル等の機械翻訳のレベルの酷さには呆れている。機械翻訳した日本語は何となく意味が理解できるが、読むに堪えないレベルの代物だ。コンピューターという特定の分野の翻訳なのにどうしてこんなに酷い翻訳しかできないのだろうかと思う。
試しに上記の「You're ※% there. Please keep your computer on.」という英文をDeepLを使って翻訳してみた。結果はあまり変わらなかった。そもそもこの英文自体が英語として成立しているのか私にはわからない。ネーティブスピーカーならすぐわかるはずだが、英語が母国語でない人間には、その表現が現地で通じるのかどうかはわからない。最近の若者の酷い日本語でも日本人なら、たとえ、それが間違った日本語だとしても日本で使われている表現かどうかはわかる。
ちなみに、上記英文のDeepLの翻訳結果は次のようになった。
「あなたは※%です。パソコンの電源は入れたままでお願いします。」
現状の学校教育のレベルの英語でも私は、英語の学習は必要だと思う。義務教育から先の英語のレベルは本人に委ねるべきだと思う。英語を使う機会のない人が趣味で英会話を勉強するのは賛成だ。しかし、海外から来る外国人が増えているからといって英語を学ぶ必要はないと思う。相手に日本語を教えるのが先だろう。しかし、反対に海外に出て働くなら、必要に応じて現地の言葉を日本人も習得する必要がある。言語の学習は使うためにある。資格のための英語なんか役立たない。実務で使わない不動産鑑定士の資格が何の役にも立たないのと同じだ。
一方で翻訳した文章を読んだときに何かおかしいと感じたら原文に当たって調べられる能力は身に着けておくべきだと思う。AI翻訳はツールにすぎない。ツールを過信しすぎてもいけない。
私は、英語が苦手な人が無理して英語を使う必要はないと思っている。テレビで高学歴のアメリカ人のおかしな日本語を聞いていると残念ながらバカっぽく見えてしまう。アメリカ人も日本人のおかしな英語を聞いたときに感じていることだと思う。英語に自信がないのなら、意思を伝えるのに必要な単語を並べるだけでよく、無理してブロークンイングリッシュを話す必要はないと思う。
英語を英語として聞き取れない日本人は、英語に対するコンプレックスがあるのか、英語を少し話せるだけで相手に一目置いてしまうようなところがある。英語はドルと同じで普及しているから必要に応じて使わざるを得ないツールにすぎない。英語を話す人を尊敬する必要はないし、英語が苦手なことを恥じる必要もない。コンプレックスの解消のためにこどもに英語を学ばせることは共感できない。アメリカ人が流暢な英語を話すのは当たり前のことなのだから。
私は、いつもモンゴル人力士の流暢な日本語に驚いている。顔も日本人に近く、見た目だけではモンゴル人と判別できない力士もいる。モンゴルでは、英語が第一必修外国語となっているようなので義務教育でみんなが日本語を勉強しているわけではないようだ。
🔗モンゴルの初中等教育機関における日本語教育の現状-ナラン第 23 番学校における日本語のイマージョン教育を中心に
それなのにモンゴル人力士の日本語は日本人とほとんど区別ができないレベルだ。文法的な語順が似ているということもあるのだろうが、モンゴル語が日本語に近いのではないだろうか。そうでなければ、モンゴル人力士の誰もが日本語がうまいことを説明できないように思う。
だから、日本人の英語が下手なことをあまり気にする必要はないのではないだろうか。流暢な日本語を話すアメリカ人もいるが、日本に生まれ育っていないアメリカ人の日本語はハーバード大学出の人でも聞いていて違いがすぐわかる。言語の習得と頭の良さは関係ないということだろう。義務教育に話す、聞くを取り入れても日本人の英語がアメリカ人と対等に話せるレベルに近づくことはないだろう。